【 鳥たちは踊る 】
◆QXQj1ELEyI




92 名前:品評会作品『鳥たちは踊る』1/5 ◆QXQj1ELEyI 投稿日:2006/10/07(土) 00:07:58.04 ID:+ceQuCak0
透明な硝子――窓の向こうを無言で眺め続ける。
空が日によって、いや、数分毎に様々な色を見せる。
だから飽きることはない。
雲。
そう、雲もいい。それぞれが異なるスピードで動き、厚く、薄く形を変えて何かを連想させる。
それから、日が沈み、夜になると、月と星たちが姿を現す。
全部が空の一部だ。
雨が落ちると、音が聴こえてくる。
風雨の強弱によって音色は変わる。
もし、同じ音色が聴こえても、その時々の気分によって、それに対する感情は異なる。
心地よいときもあれば苛立ちを覚えるときもある。
ただ、雨の大切さを知っているので、もし苛立っても我慢をする。
耐えることには慣れている。

時々、遠くにある田畑を見る。
晴天の下での作業は心地よいが、天候によっては苦労もする。
しかし、毎年、空と大地が育ててくれた作物を収穫すると、
それまでの、作物を良好な状態に保つためにした苦労は、いい想い出へと変わる。
土の感触、香り。
肌へ風があたる感覚。
そう、全てが好きだ。
育てた作物は全てが愛おしい。
自分の仕事には誇りと楽しみがあった。

93 名前:品評会作品『鳥たちは踊る』2/5 ◆QXQj1ELEyI 投稿日:2006/10/07(土) 00:08:50.74 ID:+ceQuCak0
鳥が飛び回っている。
右から左、左から右へ。また、下から上へと急旋回をする。
楽しそうに、まるで踊っているかのように見える。
以前から、そうやって姿を見せていたのだろうが、最近まで気づかなかった。
元々、鳥があまり好きではなかったからなのかもしれない。
だが、最近は空をステージにして、気の向くままなのか計算してなのかは、わからないが
華麗なダンスを見せてくれるのを興味深く眺めている。
今では、鳥も空と同じように好きだ。
鳥を好きになったということを他のやつが聞けば、きっと驚くに違いない。
そうだ、まずはあいつに教えてやろう。

作物を栽培するにあたって鳥は邪魔者だ。だから好きではなかった。
だが、あいつが好きだというので、そのままにして特に手を打つことはしなかった。
そのようなことを、考えているうちに、あることを思い出した。
鳥は樹木の種子を運ぶ。
樹木の実を食べた鳥の体内では種子は消化されずに残るらしい。
そして、それをあちこちへと運び、散布することがあるそうだ。
鳥は嫌いだと言ったときに、あいつが教えてくれた。
気紛れで落としていくのだろうか? それとも、狙ったところへ落とすのだろうか?
あいつに訊いておけばよかった。
とにかく、種子は天から落下して大地に芽吹き、新たな生命が誕生する。
そして、それは歳月を経て、立派な樹木へと成長する。
実をつけたら、鳥たちがそれを食べて、自分の子どもともいえる種子を運ばれて行く。
そして、種子は鳥によって落とされて――。
要するに、それが繰り返されるそうだ。
『ねえ、素晴らしいことだと思わない?』
説明し終わったあいつは最後にそう言った。
今、窓越しで踊っている、あの鳥は何処へ新たな生命の元を運ぶのだろうか?

94 名前:品評会作品『鳥たちは踊る』3/5 ◆QXQj1ELEyI 投稿日:2006/10/07(土) 00:09:39.24 ID:+ceQuCak0
「さあ、開けますよ」
毎朝、そう言って看護士がわしの窓を隠しているカーテンを開ける。
そうして、窓枠におさまった、空という題名の絵画の鑑賞は始まる。
近所に住んでいる上から二番目の娘が毎日、わしを訪ねてくる。
わしには三人の娘がいる。いや、正確には、わしとあいつには、だ。
「お父さん、調子はどう?」
娘の第一声は、いつも一緒だ。
たまに、孫娘が子どもを連れてやってくる。まだ幼い、確か……三歳か四歳かそれくらいだ。
樹木に例えるなら芽吹いたばかりだ。母親に抱かれて、わしを観察する。
「ほら、曾おじいさんよ。挨拶しましょうね」
「オジジジジジ……」
曾孫の母親に促されての挨拶は、大体そんな感じで、徐々に声が消えていく。
わしを覗き込む曾孫はいつも同じ顔をしている。
これから育つにつれ、多くの表情を覚えるのだろう。
できるなら、頭を撫でてやりたいが、それも今はできない。
わしの咽喉にはチューブがささっている。医者が子どもたちに説明してそうした。
だから、間違いはないのだろう。
医者はともかく、子どもたちが同意したのだから、これが最善の方法なのだろう。
今のわしは声が出せない。それに体も動かせない。不安はないが、それだけは残念だ。

「この前がお母さんで、すぐにお父さんだなんて――」
長女が廊下で次女に涙声で話している。
わしに聴こえないようにしているつもりなのだろうが、わしは昔から耳がいい。
農作業中に倒れて以来、幾らかの能力を失ったが視力とこれは失わなかった。
大体、隠し事をするなんてことは無理だ。おまえたちの考えていることくらいわかる。
わしとあいつには。

95 名前:品評会作品『鳥たちは踊る』4/5 ◆QXQj1ELEyI 投稿日:2006/10/07(土) 00:10:23.11 ID:+ceQuCak0
ある日――どれくらい前かは思い出せないが。
あいつが突然、わしの側からいなくなった。本当に突然だ。
今は、天国でわしを待っている。
昔から、わしはあいつを待たせてばかりだった。
待ち合わせにいつも遅刻していたのを思い出した。だが、あいつは一度も怒ったことがない。
わしは色々と遅刻の理由をつくりあげたが、あいつは微笑みながら、黙って、その嘘を聞いていた。
あいつはわし以上に何もかもを知っていた――それに辛抱強かった。
だから、今も辛抱強く、わしを待っているに違いない。

今日も看護士が、カーテンを開けて空の絵を見せてくれた。
雲一つない晴天だ。
わしは病院のベッドの上で、毎日鑑賞する絵の中から新しいものを発見しようと
目をいつものように忙しく働かせた。
午前中は雲を観察した。
そして、昼過ぎに二羽の鳥が絵の中に入ってきた。

96 名前:品評会作品『鳥たちは踊る』5/5 ◆QXQj1ELEyI 投稿日:2006/10/07(土) 00:11:03.76 ID:+ceQuCak0
どちらとも、いつも、よく見るやつじゃないということは、すぐにわかった。
二羽の鳥は近づいたり、離れたりして、透き通るような青色のステージの上を踊る。
今まで見たことのないようなダンスだ。あの鳥たちは、カップルなのだろうか?
それを眺めていると、嬉しいような、哀しいような複雑な気分になった。
一羽は相手を中心において、激しく飛び回っている――ああ、そうだ。あれは、わしだ。
もう一羽は、それほど大きく動かずに相手の鳥のダンスを眺めているようだ。
あの鳥は――。
目を閉じた。今でもあいつの顔がはっきりと見える。
出会ってから、一旦、別れるまでの長い年月の間に見せた、様々なあいつの顔が。

あの、二羽の鳥は種子を運んでいるのだろうか?
もしそうなら、何処にそれを落とすのだろうか?
できれば、隣り合った場所に落として欲しい。
それがわしの最後の願いだ。
そして、その種子から芽吹き、一緒に成長した二本の樹木は並んで毎日を過ごしていくのだ。
わしとあいつのように――。
それから、たくさんの立派な実をつけるのだ、その二本の樹木は。
ダンスを終えて種子を落とすために遠ざかっていく二羽の鳥にその願いを伝えた。
聞いてくれただろうか? そして、叶えてくれるだろうか? 

カップルは空の青に同時に溶けていった。
それを見届けてから、もう一度ゆっくりと目を閉じた。
それと同時に、静かに病室のドアを開ける音が聞こえた。
また、今日もわしらの種子であり、踊る鳥でもある、娘が来てくれたのだろう。
目を瞑ったまま、眠っているふりをした。
それから、もうすぐ会えるあいつに話しかけた。
『まったく、おまえの言う通り、素晴らしいことだと思うよ』

≪了≫



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