【 くぐりますか? 】
◆R7M/FY0HH2




106 名前:くぐりますか? ◆R7M/FY0HH2 投稿日:2006/09/30(土) 00:25:39.93 ID:bmPAkFPB0
 私は見たこともない大きな扉の前にいた。
その扉はどれだけ見上げても端が見えないくらい背の高い扉だった。
あたりを見渡してみても扉以外には何もない真っ暗な空間が広がっているだけ。
私は扉の取っ手を握り、軽く押してみる。
開けるためにはものすごい力が必要なのだろうと思っていたのだけれど、その予想に反して扉は簡単に開いた。
扉からまぶしいくらいの光があふれ出す。私は眩しくて目を細める。不思議なことに扉の向こうは、はっきりと見えなかった。
私が長い間この暗闇の中を漂い続けていたせいなのだろうか。
そもそも、私はなぜここにいるのだろうか。
開きかけの扉の前で記憶を遡ってみる。
――――ダメだ。何も思い出せない。
何か思い出せそうな感じはするのだが、どうもはっきりとしてくれない。
再び記憶を遡ろうとすると突然、私の頭に鈍い痛みが奔る。
扉の向こうの景色と同じように、私がここにいる理由も明らかではなかった。

108 名前:くぐりますか? ◆R7M/FY0HH2 投稿日:2006/09/30(土) 00:26:10.53 ID:bmPAkFPB0
 「おいで、おいで……」
扉の向こうから無機質な笑い声とともに声が聞こえてくる。その声もまた男とも女ともつかない無機質な声だった。
「おいで、おいで。こっちの世界は楽しいよ」
笑い声が暗い空間に響き続ける。
「おいで、おいで。こっちの世界は素敵な楽園。一度こっちに来れば決して帰りたくなくなる素敵な楽園」
声は続ける。
「みんなここに来たきり帰ろうとしなくなった。それはここがとても素敵なとこだから」
声は笑う。
「誰かがこっちの世界からあなたたちの世界に帰ってきた人がいる? いないでしょ? だからこっちは素敵な楽園。あなたたちの苦しい世界とは全く違う、素敵な楽園」
声は謳う。
「誰も帰ろうとしなくなった。だってそっちは苦しいから。こっちの世界はそんな苦しみのない世界。どう? 素敵でしょ?」
声は囁く。
「だからあなたもこっちにおいで。きっと楽しい世界があなたを解放してくれる」
そこからしばらく声は止んだ。
扉からのぞく白い世界には、いったい何が私を待っているのだろうか。
ただ、気になることがあった。声の言う「こっちの世界」と「あなたたちの世界」その二つだ。
「こっち」とはどっちのことで、「あなたたちの世界」というのは何なのか……。
私は、どこにいる?
わからない。なぜ? なぜ私はここにいるのか。理由はあるはずなのにわからない。
私は扉の前で頭を抱えて座り込む。
「わからない! ここはどこなの? なんで私はここにいるの?」
どんなに叫んでも答えは返ってこない。どれだけ待っても答えは返ってこない。
黒い闇の中、私は一人、扉の前に座り込む。

109 名前:くぐりますか? ◆R7M/FY0HH2 投稿日:2006/09/30(土) 00:26:43.10 ID:bmPAkFPB0
 扉の景色が次第にはっきりと見えてくる。それは光に慣れたから?
景色がはっきりとしていくにつれて私の記憶は消えていく。遡れたはずの記憶が、今はもう無くなりかけている。
「おいで、おいで……」
再び声が私を呼びかける。先ほどよりもはっきりとした声で。
「こっちは素敵な楽園。あなたたちの世界は苦しい地獄。だから私たちが救ってあげる」
救う? なんで? 私を? 誰が?
疑問の答えは得られずに私は混乱する。声は私に囁き続ける。
「こっちの世界は素敵な楽園。誰もが来たきり帰ろうとしない素敵な楽園。だからおいで、あなたも帰りたくなくなるから」
声は私を誘い込む。
「おいで、おいで。苦しまないで。こっちに来れば全てを忘れる。苦しむことなんて何もない」
声は私を追い込む。
「さあ、早く。早くしないと時間が来ちゃう。刻限が迫ってる」
声が私を迷わせる。
「早く、早く。時間がなくなっちゃう。君がこっちに来れなくなる……」
声は私を急き立てる。
「早く、早く、早く、早く……」
声は、声は、声は……。
扉の向こうからあふれていた光が薄れ、消えていく。それに併せて声も小さくなっていく。
「…………なん、で?」
消えていく声は最後に訊ねた。答えなんて何もない。わからない。足が進まなかった。ただそれだけの理由。
私は声が言う「こっちの世界」へは行けなかったようだ。
今、扉の向こうに見えるのは周りと同じ真っ暗な闇。
私は声の言う「素敵な楽園」に行きそびれてしまった。

110 名前:くぐりますか? ◆R7M/FY0HH2 投稿日:2006/09/30(土) 00:27:17.93 ID:bmPAkFPB0
 「う、そ……?」
たくさんの人が私をのぞき込んでいた。視界ははっきりとしない。ただ、全身がすごく痛かった。
「う、ん……? 誰……?」
未だにはっきりとしない視界の中、私は声に答える。
「サトコ……!」「奇跡よ! ああ神様……。」
いろんな声が私に降り注いでくる。
「……うるさい、静かにして。体に、響く……。」
私の言葉は、歓喜の声にかき消された。
後になって聞いた話なのだが、どうやら私は死の淵を彷徨っていたらしい。
車に轢かれ手の施しようのないほどに負傷した私は、搬送中に心停止。誰もが諦めていた。
私の葬式の準備は速やかに進められていった。
そうして葬式も慎ましく進み、皆が最期の別れに、と私の棺の中にいろいろと入れているときだった。
突然、私が目を覚ましたそうだ。
つまり、私はあの扉をくぐらなかったおかげで生き返ることができた、という訳だ。
扉の向こうにあったのは、おそらく死んだ者が行く世界。つまりはあの世だ。
私は生者の世界と死者の世界の狭間にいた。そして結果的に言うと、私は生者の世界に帰ることを選んだ、ということになる。
ならば私は死の淵から蘇った分、この余生を存分に生きなければ死んだ人たちに申し訳がたたない。
だから私は今日も学校をさぼった。そして苦しみのない解放されたこのすばらしき楽園を満喫している。




おしまい



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