【 Losting Moon 】
◆WGnaka/o0o
※規定レス数の超過により投票選考外です。




3 名前: ◆WGnaka/o0o 投稿日:06/09/17 02:04:36 ID:gmg3jb+5
 世界は休むこと無く時を刻み続ける。僕の心を置いてけぼりにして今も尚。
 今も降り止まない雨が、卒業式のあとの打ち上げで疲れたこの身に沁みるように冷たい。
 絶えず移り変わっていく街の雑踏から逃げたくて、立ち竦んだまま漆黒に染まる空を見上げた。
 黒い雨雲に覆われた闇夜の向こうで、自らの存在を知らせようと光り輝く満月が浮かんでいる。
 まるで遮光カーテンに閉ざされてしまったような、その弱々しい姿を見つめることしか僕は出来ない。
 微かに漏れる月光によって映る夜空には、風に流れる雨雲の軌道と降り続く雨の雫だけ。
 その雨粒たちが幾度も僕の頬を伝い流れ、偽りの涙となって足元の水溜りに堕ちてゆく。
 闇の彼方で懸命に輝く満月を見ていると、本当の涙が零れそうになって、天を仰いだまま静かに目を閉じた。
 遠くから聴こえる大型車両の排気音と、耳障りなほどの雨音に混じって、懐かしい君の声がリフレインする。
 目を閉じれば笑い合う二人の姿が目蓋の裏に映された。セピア色に褪せた幸せだった時間。
 忘却すら出来ない想い出に未だ縋り付く僕は、なんて女々しい奴なのだろう。
 あの日に君がくれた言葉は、この胸に刺さったまま抜けてくれない。
 そっと目を開けば現実が襲う。視線を地面へと落とし、頬を伝い堕ちていく熱い雫を手の平で掬い取った。
 空から絶え間無く降り続く冷徹な雨粒に、零れた僕の僅かな温もりは消えてしまう。
 言いようの無い悔しさが込み上げてきて、冷たくなった手の平を強く握り締めた。
 力任せに握り込んだ爪が痛い。けれど、こんな痛みに比べたらとても計り知れないものだっただろう。
「沙希……」
 その名前を噛み締めながら呟いた。
 呼び掛ける声は雨音に消されるように、もう君には聞こえない。
 涙と一緒に堕ちる想いはこの満月のように、もう君には届かない。

 上着のポケットから黄色い塗料が入ったビー玉を取り出した。
 満月のような丸いそれを手の平に収め、何かを込めるように僕は強く握り締める。
 君は此処に居た。あの優しい温もりはこの手に残っている。
 確かにキミは……ココに居たんだ。

  【 第25回品評会お題「月」/ Losting Moon 】

4 名前: ◆WGnaka/o0o 投稿日:06/09/17 02:05:07 ID:gmg3jb+5
 今から二年前の五月五日に、僕の妹――沙希はこの世から居なくなった。
 幼い頃から患っていた白血病のせいで、その短い生涯に幕を閉じることとなってしまう。
 元々病弱だった沙希の体では耐えられなかったのだ。発症してから徐々に蝕み始め、そして壊していった。
 気紛れな神様はなんて残酷な試練を与えたんだと、どこかで笑っているだろうそいつを心から怨んだ。
 仕事で忙しい共働きの両親に代わり、僕は入院している沙希の見舞いをするのが日課だった。
 同い年の子が居ない環境と閉鎖的な場所に閉じ込められ、寂しい思いを少しでも和らげさせたい一心で。
 僕が学校であったことを大袈裟に話すと、沙希は笑いながら聞いてくれるのが嬉しかった。
 沙希の小さな手を握り、他愛も無い話をしながら笑い合う時間が好きだった。
 面会謝絶で看護師から入室を断られたこともあったけれど、そのときは手紙を残して置いていく。
 頼りない兄なりに精一杯、沙希のことを気遣っていたつもりだ。少しでも励みになれば良いと思った。
 きっと治ると信じていた。それはずっと願っていた希望。離れていても沙希のことばかり考えていた。
 僕が家で沙希の話をすると、両親はどこか疲れた顔で聞き流すだけ。
 思い返せばその頃から両親の仲は悪くなって、夜中に喧嘩する声で目覚めることもあった。
 それが嫌で両親の前では沙希の話をしなくなり、見舞いにさえ行かなくなった両親を嫌いになった。
 きっと諦めてしまったのだろうと思うたび、胸の奥がズキリと痛んで悲しくなる。
 その頃から自分の部屋で一人泣くことが多くなった。泣いても現状は変わらないと判っているのに。

 沙希が入院してから一年半が経ったとき、病室で沙希の誕生日を祝うことになった。
 去年は容態が悪くなって祝えなかったけど、今年は平気そうで嬉しかった。
 プレゼントは欲しいものを聞いておいた。あまり売っているのを見ないから、探すのに苦労したけど。
 あげたのは黄色いビー玉一つ。沙希が欲しいと言ったもの。本当にこれで良いのかと思った。
 喜んでくれる沙希の顔を見たら、そんな微かな疑問もどこかへ吹き飛ぶ。
 それから小さなショートケーキを食べながら、僕は沙希と二つの約束をした。
 五月五日に起きる皆既月食を見ること。そして、いつまでも一緒に僕たちは居ると。
 沙希はとても嬉しそうに、僕と指切りげんまんをしてくれた。この約束を絶対に守ると誓うように。

5 名前: ◆WGnaka/o0o 投稿日:06/09/17 02:05:46 ID:gmg3jb+5

 そして沙希の誕生日に、一つ目の約束した当日。忘れられない五月五日、こどもの日だった。
 休日だというのに急遽部活に駆り出された僕は、いつもの時間より送れて病院を訪れる。
 正面玄関を入って受付カウンターを過ぎると、なんだか違う院内の雰囲気に嫌な感じはしていた。
 薄暗い階段を上り、静まり返った廊下を駆け抜け、沙希の病室まで辿り着く。
 いつものようにノックをしてみるが、中からの返事は返ってこなかった。
 もしかしたら寝ているのかと思い、僕はそっとスライド式のドアを滑らせる。
 眼下に広がった世界は、昨日と全く違うものだった。一瞬、病室を間違えたかとさえ錯覚した。
 沙希の体はベッドから落ち、白い床で苦しそうに丸くなっていた。
 点滴を吊るしているスタンドは倒れ、枕元にあった漫画本があちこちに散乱している。
 その異変に僕は本能的に傍まで駆け寄り、震える沙希の肩に手を置いて声を掛けた。
 何度も何度も名前を呼び掛けてみるが、言葉に詰まったような唸り声しか返ってこない。
 嫌な汗が体中から噴き出す。フル回転で動いているはずの頭は冷静になれず、混乱するばかりだった。
 不安そうな表情を浮かべる沙希を少しでも安心さようと、僕はその体を抱き起こして胸に収めた。
「おにい、ちゃん……?」
 薄っすらと目を明け、僕の顔を見つめる。意識はあるようで安心した。
「沙希喋るな。今ナースコールで医者を呼ぶからな」
「ううん、もういいの。もう、ダメなんだから」
 ベッド脇に垂れたナースコールを手繰り寄せようと伸ばした手を、沙希は細い腕を絡めて引き止めた。
「そんなこと言うなよっ、ずっと一緒に居るって約束しただろ……」
 引き止めた沙希の腕を取り、いつも話をするようにその手を握った。
 幾度と無く感じた温もりはまだある。沙希は安心したように少しだけ笑った。
「おにいちゃん、きせきさんは……きっと寄り道しているだけなんだよね」
「そうだ、奇跡は起こるんだ。絶対に……だから、まだ、目を閉じないでくれ」
「ごめんね、おにいちゃん。かいきげっしょく、一緒に見られなくて……ごめ、んね……」
 虚ろな瞳がゆっくりと閉じられてゆく。『終わってしまう』そう予感めいたものを感じ取った。
「――沙希? 沙希! おい、起きろ沙希!」
 無我夢中で沙希の体を揺すてみても、綺麗に切り揃えられた前髪が揺れるだけだった。
「うそ……だろ? さ、沙希……サキぃいいいいいい―――――――!!」

6 名前: ◆WGnaka/o0o 投稿日:06/09/17 02:06:12 ID:gmg3jb+5
 神様なんてここには居ない。有り得ない奇跡なんて起こらない。妹の沙希はもう戻ってこない。
 狭い個室部屋に木霊するのは、冷たくなり始めた沙希の体を強く抱き締める、僕の泣き声だけだった。
 薄暗い病室の窓からは、闇で体の一部を隠された満月だけが僕らを照らしていた。
 半年に一回あるかないかの皆既月食が起こる、それはとても特別な日だった。
 次第に姿を変えていく満月は、僕の儚い願いのように消えてゆく。
「もう遅ぇよ……ばかやろう」
 楽しみにしていたはずの風景に、僕は涙を流しながら罵声を浴びせていた。
 見えないはずの沙希にどうしても見せたくて、抱いたまま体を反転させて窓のほうへ向き直る。
 その衝動で安らかな寝息も聞こえない沙希の手から、黄色いビー玉が白い床に落ちて転がった。
 初めて沙希が欲しいと強請ったもの。誕生日にプレゼントした、安物のビー玉だった。
 大事に大事にしてくれると、嬉し泣きを浮かべながら言ってくれた沙希。
 もう笑うことも泣くことも、怒ることさえ出来なくなってしまった。
 僕の零れた涙の雫が、沙希の頬に落ちて流れてゆく。まるで、泣いているかのように。
 夜空の満月は闇に飲み込まれ、腕の中で眠る沙希の体も見えなくなり、微かな温もりも無くなった。
 ダイアモンドリングが出来た神秘的な皆既月食は、憎たらしいほどに美しい。
 願い続けた奇跡なんて、やっぱりどこにも無かったと知った。

 翌朝になると自分の部屋で目覚める。あまりの寝覚めの良さに、ここは本当に現実かと疑った。
 あれは夢だったのかと一瞬安堵したが、放すまいと手に握っていた黄色のビー玉で理解する。
 これは現実なんだと痛感し、僕は眠りに就くまでずっと泣いた。涙は枯れることが無かった。
 心にはどこか風穴が開いたように、夜月を見るたび虚しくなる。
 それから沙希の死をきっかけに、仲違いをしていた両親は離婚をした。
 それぞれの討論の結果、僕は父親に引き取られることになり、母親は家を出て行った。
 そして僕は一人暮らしをすることにし、隣町にあるアパートを借りて過ごすようになる。
 本当は自分の力だけでやっていきたかったけれど、父親はそれを援助するということで了承してくれた。
 沙希との思い出がありすぎるあの家は、少しだけ居るのが辛かったのだ。
 高校もあと半年通えば卒業でき、就職したら父親の援助も断ろうと思っていた。
 苦労を掛けてしまっている父親にも、少しだけ休んでほしいと思ったから。
 高校を卒業するまで、僕はこれからのこと考えるだけで精一杯だった。

7 名前: ◆WGnaka/o0o 投稿日:06/09/17 02:06:40 ID:gmg3jb+5

 高校生活の閉めを担う卒業式と打ち上げも終わり、雨に打たれながらアパート近くまで辿り着く。
 ずぶ濡れになって泣いたら、スッキリした気持ちになっていた。
 アパートの門が見えたところで、傘も差さずに立っている人影が見える。
 街灯もないそこでは誰だか判らなかったが、近付いて行くと見覚えのある姿に驚いた。
「お帰り」
 片手を小さく上げてそう言うのは父親だった。
「……ただいま」
 随分な時間会わなかったせいだろうか。心なしか父親の顔には皺が増え、白髪も目立っている。
 しかしなぜ、父親がここに居るのか判らなかった。卒業祝いでもしにきた雰囲気でもない気がする。
「どうしたの? こんな時間に」
「今日はおまえに渡すものがあって、ここに寄らせてもらった」
 そう言うなりズボンのポケットから一通の茶封筒を取り出した。
 僕は多少湿り気を帯びたそれを受け取り、何も言わない父親の視線を受けて中を覗き込んだ。
 一枚の手紙らしきものが、折り畳まれて入っているようだった。
「読んでみなさい」
 父親に急かされて僕は中身を取り出す。茶封筒から外に出たそれは、やっぱり手紙だと知る。
 折り目がくっきりと固く付けられた手紙は、長い時間が経っているものだと気付いた。
 乾いた喉を潤すように、一度唾を飲み込んだ。そして、意を決して手紙を開き、黙読し始める。

『おにいちゃんへ。
 そつぎょうおめでとうございます。こんな手紙でごめんなさい。
 きっとわたしは、おにいちゃんのそつぎょうしきまでがまんできないかもしれないから。
 たんじょうびにくれたビー玉うれしかったです。とってもきれいなたからものです。
 お月さんは今日もかがやいています。おにいちゃんのように、ずっとわたしを見守ってくれています。
 こんどはわたしがおんがえしをしたいです。わたしなんかのためにがんばってくれたおにいちゃん。
 しあわせになれるように、まいにちビー玉をお空のお月さんにかさねていのっています。
 今までありがとう、大好きなおにいちゃん。それとお父さんお母さん、ごめんなさい』

8 名前: ◆WGnaka/o0o 投稿日:06/09/17 02:07:07 ID:gmg3jb+5
 ミミズが這ったような文章を読み終え、僕は胸を詰まらせた。
 痛むはずの体で一生懸命に綴られた言葉たちは、何よりも深く心に訴えかけてくる。
 溢れてくるのは悲しみばかりで、僕はそれに堪えきれず涙を流した。父親はそんな僕に手を伸ばす。
「沙希の病室に、これがあった。内容を読んで、今日お前に渡そうと思っていた」
 父親の広い胸に頭を抱かれ、子供のようにいつまでも泣き続けた。
「すまない。父さんたちは……沙希に何もしてやれなかった」
 僕の頭を胸に抱いたままで呟く父親の声は、悔しそうに打ち震えていた。
「取り乱す母さんを諭すので精一杯だった。沙希のことを口論し続けた結果、こうなってしまったが……」
 母親はきっと現実を受け入れられなかったのだろう。それは痛いほどに判る。
 沙希が入院していたときも、両親は結論の出ないことで悩み、そして苦しんでいたのだろうか。
「母さんは諦めていたようだったが、父さんは最後まで希望を持っていたつもりだ」
 初めて聞かされる父親の胸の内。僕は正直、戸惑うことしか出来なかった。
「沙希の入院費を稼ぐために働き詰めで、面会時間に顔を出せないで居たのが悔やまれる」
「じゃあなんで、無理をしてでも会いに行かなかったのさ」
 父親の胸から頭を引き剥がし、苦虫を噛み潰したようなその表情を睨んだ。
 いったいどれだけ沙希が寂しい思いをしていたか。どれだけ両親に甘えたかったか。
 捨て犬を見て見ぬふりするのとは違う。ましてや自分の子供を――。
「……会えばきっと辛くなると思っていた。でも結局は、父さんも逃げてしまっていただけだったんだ」
 突然に湧き上がってくる僕の怒りを流すように、父親は抑揚の無い声で言葉を吐き出した。
「いまさら許してくれなんて言わない。怨んでくれてもいい。ただ、これだけは忘れないでくれ。
父さんたちは父さんたちなりに、頑張っていたと」
 その言葉だけで、僕は冷静になれた。エゴを押し付けようとしていた自分が恥ずかしくなる。
 俯く僕の頭を父親は優しく撫でてくれる。子供の頃、良くそうしてくれたように。
「沙希のこと、ありがとうな」
 それは、もっと昔に言ってほしかった言葉だった。
 僕は再び泣きそうになるのを堪え、奥歯を噛み締めて息を飲み込んだ。


9 名前: ◆WGnaka/o0o 投稿日:06/09/17 02:07:35 ID:gmg3jb+5
「心の整理がついたら、いつでも帰って来てもいいんだぞ。四月から仕事、頑張れな」
 そう言い残した父親の背中が遠くなる。幼い頃に大きいと感じたそれは、もう小さく見えてしまう。
 色々なものを背負い込んで、それでも僕のことや沙希のことを忘れないでくれている。
「ありがとう」
 見えなくなり始めたその後姿に、僕は深々と頭を下げた。
 降り続いていた雨が止み、いつしか雨雲は掻き消されて星空が覗いていた。

 狭いアパートの部屋に戻り、万年床の布団に寝転がった。
 卒業証書の入った鞄を投げ出し、カーテンの無い窓越しに空を眺める。
 濡れた制服の感触と冷たさが、少しばかり熱を帯びた体には気持ち良かった。
 目を閉じれば沙希との遠い日々が脳裏に巡る。共に過ごした十三年間という長い月日。
 今はもう、それは想い出になってしまった。楽しかったことも、悲しかったことも全て。
 上着のポケットから黄色のビー玉を取り出した。唯一僕が後生大事に持っている大切なもの。
「奇跡は寄り道をしているだけだから……か」
 胸に突き刺さっていた言葉を静かに吐き出した。苦痛に顔を歪める沙希が涙を堪えながら紡いだ最後の言葉。
 例えもう叶うわないと知ってしまっても、未だ空の向こうで奇跡を信じて待っているのだろうか。
 そうだとしたら無垢な沙希は報われない。もし、寄り道していた奇跡が今更訪れて来ても、もう遅すぎるのだ。
 溜め息を吐きながら、闇夜に浮かぶ満月にビー玉を照らし重ねた。片目をつぶって二つのピントを合わせる。
 ガラス製の球体の中に閉じ込められた塗料が、綺麗な月光によって透き通って煌く。
 沙希が一人で見ていた小さな世界。祈り続けたビー玉の向こう。
 そこに沙希が居る気がして、小さなビー玉をこの胸に抱いた。
 いつまでも一緒に居ると約束した遠い日。せめてこの形見だけでも、一緒に連れて行こう。
 決して弱音を吐かなかった沙希が、このビー玉に込めた想いもずっと。
 今日は今年初めての皆既月食が起こるだろうと、朝のニュース番組でも言われていた日だった。
 急に変わった天候のせいか、今ではそんな様子は微塵も感じない。
 それどころか今は、とても綺麗で美しい、雨上がりの満月だった。

10 名前: ◆WGnaka/o0o 投稿日:06/09/17 02:07:49 ID:gmg3jb+5

 あの日、皆既月食が起きなければ……奇跡は起きたのだろうか。
 いつまでも二人笑い合う日が、今も続いていたのだろうか。
 そう思い初めて自分が馬鹿らしくて、変わらない過去のことを考えるのはやめた。
 毎晩その姿を少しずつ変えていく月の向こうで、ずっと僕を見守ってくれていると信じている。
 僕のこの強くなった心には、沙希は笑いながら生き続けているんだ。
 例え僕の魂がこの世から無くなろうと、いつまでも消えることはない。
 このビー玉が何よりの証。沙希が居たという事実。
 だから僕は、煌々と輝くあの月に想いを投げ掛ける。何もかも忘れぬように。
 皆既月食で行方不明になった月が、また夜空に戻ってくると知っているから。
 今度の皆既月食はいつだろうか。遠足を楽しみにしているようで待ち遠しい。
 空の向こうに居る沙希と一緒に見られたら、それだけで僕は幸せなんだ。
「沙希……」
 その名を一度だけ呼び掛けてから、僕は深い眠りに就く。
 偽りの夢の中だろうと、少し大人びた君に逢えるのが嬉しいのだから。


   了



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