3 名前:No.1 封筒 1/4 ◇ct0G69Z3/Y 投稿日:06/09/16 00:07:14 ID:LbjpQKTV
――月は笑っているか
そう書かれた便箋の入った封筒が我が家の郵便受けに投函されていた。
我が家といっても、俺が住んでいる場所は掘っ立て小屋に色を塗ったようなボロボロの借家である。
そんなボロ家の郵便受けに、それもダイレクトメール以外に手紙やその類のものが届く事など本当に稀なことなのだ。
最後に手紙が届いたのはいつだったろうか、そんなことを考えながら空が少しくすんだような色の封筒を乱雑に破いてみた。
封筒の中には二つ折にされた一枚の便箋と、夜の空を写し取った写真が入っていた。
二つ折りの便箋を開いてみると、こう書いてあった。
「月は笑っているか?」
何の事か理解しかねる。もう一枚、同伴されていた写真をよくよく眺めてみる。
写真の中央には、薄いまぶたを閉じようとしているように見える綺麗な三日月が写っており、それ以外には薄い雲がひとつふたつ写っている。
これは一体どういう意味なのだろうか。
少し気味が悪くなってきた。破り捨てた封筒をゴミ箱から拾い上げ、よく調べてみる。
差出人の名前はもちろん、宛名や郵便番号さえも記されていなかった。切手など、貼った形跡もない。
「誰かのいたずらだな……きっと」
封筒に対して、そう独り言を問いかけてみる。
虚しく部屋に響く声に反応するものは当然おらず、さらに気味が悪くなった。
姿が変わった封筒をさらにくしゃくしゃと丸め、写真や紙と一緒にゴミ箱に捨てた。
この時点では、ただのいたずら程度に思っていたんだ。
数日後、再び郵便受けに封筒が投函されていた。
さすがに、何かおかしなことが自分の周りで起こっているような気がしてきた。
今回も封筒の中身やその他の状況は同じ、唯一違うとするならば、封筒の色だろうか。
前回の封筒の色は五月の空をそのまま切り取ったような青色であったが、今回は真っ赤だった。
それも、夏も終わりかけるころによく見られるような夕日のような茜色だ。
4 名前:No.1 封筒 2/4 ◇ct0G69Z3/Y 投稿日:06/09/16 00:07:34 ID:LbjpQKTV
ああ、そうだ。もうひとつ違う所があった。月の写真のことである。
いや、写真の内容自体は変わっていない。
変わっているのは雲の位置だ。雲の位置が前回の写真より多少動いている気がする。
残念ながら、その違和感を確実な答えへと導く事はできなかった。前回の封筒は中身ごと、今はきっと夢の島の一部になっていることであろう。
またこのような手紙が送られてきたときに困らないように、この封筒は丸ごと残しておく事にした。
翌日、なにやら物音がしたので目が覚めた。
物音の犯人はすぐにわかった。郵便受けである。
何者かが、また我が家の郵便受けに封筒を放り込んだのであろう。
そう分かった瞬間、飛び起きて玄関まで走った。もちろん、着物は寝巻きのままである。
しかし、努力のかいもなく犯人を見つけることはできなかった。
家の外は夏の終わりを告げる雨がひっそりと降っており、冷たい雫たちが俺の右手にある封筒を濡らしていた。
もちろん、郵便物はいつもの通りだった。注目すべきは封筒の色だが、本日の封筒は前々回と同じ空色である。
肝心の中身だが、これは今回も全く同じだった。
月は笑っているかと一言だけ書かれた便箋、そして例の写真である。
ここで一つ発見をした。やはり、写真は前回のものとわずかながら違っていた。
もしかしたら、これは一番最初に届けられたものと全く同じものなのかもしれない。それは封筒の色から推理した結果だが。
今回はこれといった収穫がなかったが、これら郵便物たちを大切に閉まっておくことにする。
これで終わるはずがないという確信があったからだ。その自信はどこからくるものなのかは分からないが。
しかし、それからしばらく謎の郵便物は届かなかった。
厳しい残暑もなんとか乗り越え、いつもと変わらぬ生活だけが我が家を占領していた。
不思議な話だが、俺自信あの郵便物が届くのを楽しみにしていたのかもしれない。
今度はどのようなものが送られてくるのだろうと考えるだけで、何か楽しい妄想が広がっていく。
一体だれが届けてくれているのか。意味はあるのか。
その意味とは。それは恐ろしいものなのか、それとも……
5 名前:No.1 封筒 3/4 ◇ct0G69Z3/Y 投稿日:06/09/16 00:07:49 ID:LbjpQKTV
俺は単純作業のように縛られた日常に嫌気が差していたのかもしれない。
少しスパイスのある生活があると、小さいころはよく考えていたものだ。
最後の封筒が届いてから数えて、丁度一ヵ月後にその封筒は届いた。
今度は書道で使う墨汁で染め上げたような、そんな漆黒の封筒が届いた。
外見でかなりびっくりしたのだが、今回は中身にも驚いた。便箋はいつもどおりなのだが、写真の内容が違う。
今回の写真に写っていたのは、闇にぽっかりと穴を開けたような満月だった。
それは大層綺麗な満月で、写真なのに、まるで自分の顔を写し取ってしまうかと錯覚してしまうほどだった。
俺は困ってしまった。今度もてっきり三日月でくるかと思っていたのだが、お次は満月だ。
三枚の写真を前に、座り込む。写真が届いた順番に並べてみたり、裏から見透かしてみたりしたが答えは見つからなかった。
これはお手上げだ。黙り込んだまま天を仰いでみる。
小さな部屋はたった一つの蛍光灯で照らされており、どこから入ったのか小さな蛾が騒いでいる。
舞い散る鱗粉に目を細めつつ、ふとあることを思い出した。
――月は笑っているか
思い出した瞬間、写真を思いつきどおりに並べてみる。
二枚ある三日月をふたつ横に並べ、その二つを真ん中にするように満月を下に配置してみた。
「ははは……笑ってるじゃないか」
思わず笑みがこぼれた。
6 名前:No.1 封筒 4/4完 ◇ct0G69Z3/Y 投稿日:06/09/16 00:08:11 ID:LbjpQKTV
目の前にある写真たちはこちらを見てニカニカと微笑んでいる。
微笑んでいるのは月たちだけではない。雲もまた、人間の顔を縁取るように配置されていた。
「誰だよ、こんな酔狂なことをするのは」
三枚ある便箋に向かって、笑顔とともに俺は答えた。
「月は笑っているよ」
その日以来、我が家に謎の郵便物が届く事はなくなった。
俺には寂しい気持ちはなかった。
今日も机の上で、三つの月たちが微笑みかけてくれるのだから。
しかし、一抹の疑問が俺の胸の中に残っていた。
まず第一に、この郵便物の差出人が誰であったのかだ。
同僚や、旧友に問いかけてみたが、誰一人としてこの郵便物に反応を示すものはいなかった。
その次に、封筒の色の謎である。
なぜ毎回違う封筒だったのか、些細な問題かもしれないが妙に引っかかる。
青、赤、黒。これに答えはあるのか?
そして最後に、この問いかけである。
月は笑っているか――
この答えに対して笑っていなかったと回答したのなら、俺はどうなっていたのだろうか。
まあ、今となっては意味の無い考えなのだろう。
<了>