【 and...? 】
◆Awb6SrK3w6




No.16 and...? ◆Awb6SrK3w6氏
28 名前:and...? 1/4 ◆Awb6SrK3w6 :2006/09/03(日) 23:54:53.72 ID:4iSNgyWf0
赤茶けた大地が広がっていた。
それを貫くようにして、地平の果てまで黒色の道路が続いている。
通行量は恐ろしく少なく、視界の及ぶ範囲に一台の車も見ることはできない。
「あーあ」
Love and peaceと書かれたTシャツとジーンズを身に着けた男が、一人ぽつねんと立っていた。
「こりゃ、まずいな」
焦燥の混じる一言と共に、「BOGOTA」と書いた段ボールを持つ手がだらりと下がる。
赤道直下の日光が四肢に五体に汗を滲ませ、背に負う荷物は時を追うにつれ重くなってゆく。

彼の名前は山本啓吾。ヒッチハイカーである。
彼の目標は、アメリカ大陸を様々な人の力を借りて、縦断することだった。
南米の最南端、パタゴニアからチリ、ペルー、エクアドル。
彼は現地の人々の好意を受け続け、なんとか南米の最北端コロンビアまでやってきた。
だが、今、夢は潰えようとしていた。
彼は今、コロンビアの大平原のど真ん中で、立ち往生を遂げようとしていたのである。

「あー、畜生」
とうとう彼は立つ気力さえ無くなっていた。道路のど真ん中で彼はばたりと、寝転んでいたのである。
日光の熱を吸い込んだ道路が、彼の背中を焼いてゆく。
「死にたくない」
目を閉じて、薄れゆく意識の中、彼はぽつりと愚痴をこぼした。

現実から目を背けて、どれくらいの時間が経ったろうか。
地面が響くような気が彼にはしていた。
最初は地震かと思ったのだが、ここは彼の故郷、地震大国日本ではない。
だが、確かに体を委ねている道路は震えていた。ガチャリという扉を開閉する音がして、
「道のど真ん中で寝そべりやがって。自殺志願者か、お前は!」
トラックの排気音と共に、スペイン語の罵声が聞こえた。
目蓋を開ける。
そこには、一人の中年が立っていた。

29 名前:and...? 2/4 ◆Awb6SrK3w6 :2006/09/03(日) 23:55:24.17 ID:4iSNgyWf0
「いやー、有り難うございます! 助かりました!」
「そいつはどうも」
水を飲んで生き返った彼の勢い良い礼に、無愛想な返事を運転手は返した。
ラジオからは、聞いたことのないスペイン語の歌が流れてくる。
フロントガラスから見える景色は、数分経っても先ほどの物と変わらない。
圧倒的な広さを誇る大平原の中、一人佇んでいた事を思うと、
彼は背筋が少し凍る心地がした。
「名前は何という?」
「……え、あ。はい?」
「名前は何だと聞いている」
運転手は呆けていた彼の名前を問うていた。
「あ……、山本啓吾です。ケイゴって呼んでください」
「ケイゴ……か。中国人か? 日本人か?」
コロンビア人にとって、アジアは余りに遠い土地の事である。
中国人と日本人の見分けなど、当の日本人ですら割と難しいことなのに、
コロンビア人にできるはずはない。
「日本人です」
そう思って山本は返答した。
水で潤った喉からは、弾む声が飛び出してくる。
「そうか。そりゃ、良かった」
言葉の字面とは裏腹に、抑揚のない声を運転手は返した。
運転手はポケットからタバコを取り出し、口にくわえる。
「じゃあ、身代金だな」
口の端から引きずり出すようにして、運転手は淡々と呟いた。
「へ?」
山本は運転手の言葉を疑った。

32 名前:and...? 3/4 ◆Awb6SrK3w6 :2006/09/03(日) 23:56:14.28 ID:4iSNgyWf0
「……今、なんて言ったんですか?」
「耳が悪いのか? 身代金だと言ったんだ」
山本の動揺など知ったことではないように、運転手はライターを取り出している。
「俺は誘拐されたってことなんですか?」
「まあ、そうなるな」
カチッ、カチッという音だけが響いていた。火がなかなか着かない。
「助けてくれたんじゃ、無いんですか?」
「……」
運転手は返答しない。ライターに火が灯っていた。
山本の言葉など聞こえないようにして、男はタバコに火を着け、煙を一つ吐く。
山本はたまらなくなっていた。
自分を命を助けてくれたはずの恩人が、自分を出汁にしようとしている事にである。
彼は長い旅路こそ辿っていたが、このような目に遭うのは、今回が初めてであった。
感情が、少しずつ高ぶってゆく。
「平原で死にかけてた俺を哀れんで、助けてくれたんじゃ無いんですか?」
「……さあな」
「慈愛とか、そういう感情から、俺を救ってくれたんじゃ、無いんですか!?」
「……」
沈黙が運転手の返答だった。
タバコをふかし続ける彼に、山本は失望せざるをえなかった。
思わずうつむく。視線の先には、ポップな書体で書かれた「Love and peace」という文字があった。
縄でがんじがらめに拘束されているわけではない。
とはいえ、このトラックから飛び降りたところで、
この車通りのない大平原でひとりぼっちという状況に再び戻るのは、とてつもなく恐ろしいことであった。
今山本を囲んでいる状況は、どう見ても八方塞がりだったのである。
どうにでも、なれ。

33 名前:and...? 4/4 ◆Awb6SrK3w6 :2006/09/03(日) 23:56:50.89 ID:4iSNgyWf0
半ばヤケクソになっていた。衝動に身を任せ、男の襟を掴んで叫ぶ。
「……そうですよ、Love and peaceですよ! この服に書かれてあるような」
「Love and peaceねぇ。……そいつがあれば、飯は食えるのかい?」
一言で、山本の言葉が断ち切られる。
運転手は山本を睨んでいた。
目から放たれる何かが、身を突き刺してくるような、そんな感覚を山本は覚える。
襟を掴む手の握力が、急に萎縮していった。
「トラック運転手ってのも、なかなか儲からない仕事でね。
愛ってのも、自分の家族以外に振りまける余裕は無いんだ」
そういうなり、運転手は車のブレーキを踏む。
慣性が、山本を前へとつんのめらせた。
シートベルトが体に食い込み、手が運転手の襟から離れていた。 3

「だいたい、俺は前から不思議に思ってたんだ。
愛と平和。これだけで、世界が救われるって思う連中がいるってことをな。
Love and Peace and Moneyっていうなら、まだ理解できるのだけどね」
つんのめった時に頭でも打ったのだろうか。
動けない山本に運転手は見下ろすようにして言葉を投げつける。
「……ッ」
「こいつは、悪い申し出じゃないと思うんだがな。
まあ、誘拐というのは確かに聞こえが悪いな。じゃあ、こう言おう。
助けた謝礼として、俺はお前に金を支払って欲しいんだ。
Love and peaceなんて寝言を呟く日本人は、俺に分け与える金なんて腐るほどあるだろうからな」
「……」
山本は黙らざるをえなかった。
運転手の価値観と、自分の価値観がかけ離れた物であるということを、
まざまざと見せつけられたからである。
静かに、トラックは動き始める。
鬱々たる山本の思いを乗せて。

34 名前:and...? 5/4 ◆Awb6SrK3w6 :2006/09/03(日) 23:57:21.18 ID:4iSNgyWf0
あれから、どれくらい時間が過ぎたろうか。
太陽が西の地平に沈んでゆくのが見えていた。
そんな時である。運転手がぽつりと言葉を零していた。
「まあ、お前が中国人じゃなくて良かったよ」
「え?」
「中国人だったら、二束三文で売り払ってた所だからな。人買いに。
何せ、身代金が取れる保証が無い」
排気音が、コロンビアの平原に響く。






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