【 真夏の夢遊病者 】
◆D8MoDpzBRE




65 名前:真夏の夢遊病者 1/4 ◆D8MoDpzBRE :2006/08/26(土) 01:42:30.11 ID:qEOtimeI0
 暑い……、ここはどこだろう? 真夏の太陽が乾いた土の上に照りつける。鳴り響くブラスバンド
の演奏と歓声。そして、小高く盛り上がった土の上には駿斗が立っている。
「――夢?」
 薄暗い病室の中で目がさめた。ぼやけた視界に真夏の光景が残像として焼きついている。
 思い出した。明日は高校野球、甲子園への地区予選決勝の日だ。駿斗は私たちが通う西高のエース。
甲子園行きの切符は、駿斗の右腕にかかっている。だから、手術前のお見舞いには来てくれないんだ。
 私は、自分自身の運命を呪いたくなった。

 私が自分の病名を知らされたのは一ヶ月前。診断は「右卵巣嚢腫」とのことだ。
 ちょっとおばさんの先生に言われた。
「心配しなくてもいいのよ、悪いものじゃない。手術をすれば小さい傷で元通りになるからね」
 手術をする、なんて言われて不安にならない訳がない。泣きそうだった。そんな気持ちを察してく
れたのか、そのおばさん先生は優しくフォローしてくれた。
「今まで何十人も同じ病気の患者さんを見てきたけど、みんな笑顔で退院してくれたから。あなたも
頑張って」
 手術の日程はすぐに決まった。私は通院しながら色々な検査を受けた。そして手術の前日である今
日、ここに入院した。
 ベッド脇の時計を見る。もうすぐ日付が変わる。とうとうこの日が来るのだ。
 駿斗たちの試合は午前十時に始まる。私の手術は二件目だから、お昼くらいになるらしい。試合、
最後まで見れるかな。
 私はふさぎ込むように枕に顔をうずめると、再び眠りについた。

67 名前:真夏の夢遊病者 2/4 ◆D8MoDpzBRE :2006/08/26(土) 01:43:10.81 ID:qEOtimeI0
 どれくらい眠っただろう。外が明るくなり始めている。
「優花、起こしてゴメンな、俺だ」
「ん? 誰?」
 こんな時間に来るなんて、看護師さん? でも、男の看護師さんはいなかったような。
「……駿斗?」
 眼を凝らすと真っ黒に日焼けした人影が、私と同じ高さの目線で見つめ返してくる。間違いない、
駿斗だ。
「え、どうして? 今日試合だよね」
「大丈夫。プレイボールまではまだ五時間あるから。それよりも優花。今日の試合はお前のためにも
絶対に勝つよ。優花に捧げるマウンドだ」
 ベタな台詞だな、と思う。でも、そのストレートさが駿斗の魅力だ。私もその気持ちを真正面から
受け止めなきゃ。今日、私は手術を受けるんだ。
「ありがとう、ありがとね、駿斗」

 あとで聞いた話だけど、その日駿斗は守衛さんに頼み込んで病院に入れてもらったらしい。自分が
西高のエースで、予選の決勝で投げることまで打ち明けて。
 そんなことも知らずに私は、手術までの時間、テレビで高校野球を見ていた。お母さんも仕事を休
んで病室に駆けつけてくれた。
 試合は五分。スコアボードには両校、ズラリとゼロを並べる展開だ。六回裏が終わる。
 十一時半ころ、私は手術室に呼ばれた。
――もう少し見たかったのに。
 文句を言っても仕方ないって分かってる。私は、点滴とシャワーキャップみたいな帽子をつけられ
た状態で、移動式ベッドに寝たまま手術室へ運ばれた。お母さんのほうが動揺しちゃってるみたいで、
私は気丈に「行ってきます」なんて言ってみた。
 緑色の壁、機械だらけの殺風景な部屋に入る。最初の診察で診てくれたおばさん先生が、手術着で
話しかけてきた。
「大丈夫よ、私たちに任せてね」
 こくん、とうなずく。いよいよ麻酔の準備ができたようだ。
「今から麻酔をかけますよ。ちょっと点滴のところがしみるけど、すぐに眠くなりますよ……」

68 名前:真夏の夢遊病者 3/4 ◆D8MoDpzBRE :2006/08/26(土) 01:43:58.86 ID:qEOtimeI0
――ここはどこ? 暑くて、まぶしい。
 私は夢を見ているようだった。昨日も見た夢。ブラスバンドの演奏と歓声のボルテージは最高潮だ。
「駿斗」
 私は駿斗の隣に立っていた。目の前には滝のような大粒の汗をかいた駿斗の姿があった。駿斗には
私は見えていない。当たり前か、夢だから。
 スコアボードが目に入る。一対〇。西高、一点リードで迎えた九回裏ツーアウト満塁。
 私にだって野球は分かる。これは絶体絶命のピンチだ。
 駿斗がマウンドから軸足を外した。一呼吸、自分を落ち着かせるように間をとり、冷静にカウント
を確認する。ツースリー、いわゆるフルカウント。ストライクか凡打なら勝ち、ヒットを打たれたら
ずサヨナラ負けの状況だ。
――駿斗、頑張って。
 必死の思いで祈る。駿斗とキャッチャーの間で、長いサインのやり取りが終わる。駿斗が投球の構
えに入った。
 私には、駿斗の顔が不安におびえているように見えた。手元の握りは、カーブだ。いつもの駿斗な
ら、ストレートでねじ伏せる場面のはず。
 聞こえないと分かっていつつ、私は叫ばずにいられなかった。
「駿斗! ストレートで勝負して!」
 私は差し出がましい女だ。駿斗はこの土壇場で、決め球をストレートに変えてしまった。目に自信
がよみがえる。
 最後の一球には、駿斗の魂が乗りうつっていた。相手のバットがむなしく空を切る。
 しかしボールは、カーブを待っていたキャッチャーのミットに弾かれてしまった。
――うげ。
 その後の記憶はない。

69 名前:真夏の夢遊病者 4/4 ◆D8MoDpzBRE :2006/08/26(土) 01:44:34.63 ID:qEOtimeI0
 夕方、私は目覚めた。お腹に力が入らない。のどが痛い。
 とっくに試合は終わってるだろう。最後のあの場面でキャッチャーがボールを大きく反らしていた
ら、振り逃げで同点、最悪逆転サヨナラ負けもあっただろう。そうだったら私のせいだ。
 気づくと、ベッドの脇には駿斗が立っていた。普通こういうときは家族が先じゃないかなぁ。どう
やらみんなが気を利かせてくれたらしい。
「優花、手術頑張ったな」
 目を覚ました私を駿斗がねぎらってくれる。私も駿斗に声をかけてあげたくなった。
「最後のストレート、よかったよ」
「まるで見ていたかのような口ぶりだな」
――だって見てたもん。
 と言いかけてやめた。それより試合の結果が気になった。
「試合、どうだった?」
「やっぱり知らないんじゃないか」
 駿斗がごそごそと、野球のボールを取り出した。
「……ウイニングボール?」
 恐る恐る聞いてみる。駿斗がボールに視線を落として、笑った。
「今日は女房役に感謝しなきゃな」
 ああ、よかった。キャッチャーがちゃんとこぼれ球を抑えてくれたんだ。ようやく、私の中にくす
ぶっていた罪悪感が消えた。
 続けて、駿斗が小さい声でつぶやいた。
「優花のことも指して言ってるんだぞ」
 一瞬何を指しているのか分からなかった。が、すぐに自分が女房と呼ばれたことに気づく。
「もう、女房だなんて格好悪いよ」
 精一杯の強がりを言う私を、駿斗は照れながら見つめていた。窓から差し込む西日が、二人の顔を
真っ赤に染め上げていた。



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