【 Tapir 】
◆8vvmZ1F6dQ




381 名前:1/3 ◆8vvmZ1F6dQ :2006/08/19(土) 21:50:13.60 ID:Ns7BbRmq0
 女の浴衣の柄はいつか富士で見た、流れ星に似ていた。
何本もの白線が深緑の間を走っている。
私は女の膝に頭を乗せ、ぼんやりとその顔を見上げていた。女も、私を見下ろしていた。
紅色の頬、紅い唇。黒く艶っぽい髪。美しい女だった。
結い紐から漏れた髪が、私の目の端に柳のように垂れ下がっている。
甘い匂いが鼻についた。高級な香を、この部屋のどこかで焚いているようだ。
女はふいに、微笑んだ。そして少しだけ、顔をあげる。女の瞳に光が差す。
この時はじめて、女の瞳が深い藍色であることに気付いた。
「気分は良いかい」
 瑞々しい唇が動いた。ああ、と私は答えた。
「この夢、気に入ったかい」
「これは、夢なのか」
 いつから夢なのか、どこから夢なのか。分からないが、
夢でも現実でも味わったことがないほどに、心地が良かった。女は言う。
「夢だよ」
「何でわかるんだ、夢だと」

382 名前:2/3 ◆8vvmZ1F6dQ :2006/08/19(土) 21:50:50.70 ID:Ns7BbRmq0
 女の細い指が私の頬を撫でている。
「あたしは、獏だからさ。夢を食い物にしてるのさ」
「お前は、人間の女だ」
 私は見たままをいった。けれど、女は肩を揺らして笑った。
「でも、獏だもの」
「じゃあ、この夢も食べるのか」
「食べないよ。死に掛けが食事なんかするもんか」
「お前、死ぬのか」
 急に私は、胸の奥が苦しくなるのを感じた。
むりやりに風穴を開けられ、そこに冷風を当てられているようだ。
この快活な、異国風の顔の女は、どうみても病人には見えない。
「死ぬよ」
 女は言うと、ゆっくりと身をかがめた。顔を私に近づけている。
私の影がゆらゆらと藍色に映りこんでいた。
私はそっと首をのばし、女に口付けをした。女は黙ったまま、それに従う。
暖かい感覚に、私は包まれた。
香の匂いが篭る部屋に、ただ時間が過ぎていく。
私はふいに唇を離す。
「死なないでくれ。お願いだ」
 自然と、言葉が紡がれていた。唇は離れても、私の手は女の浴衣の裾を握っていた。
女の眉がぴくりと動いた。笑顔ではない。しかし、怒っている風でもない。
間を置いて、長く細い吐息が吐かれた。
「もうあたしは、あんたの夢を食べられないんだよ」
 女の目は厳しく、そして哀しかった。

383 名前:3/3 ◆8vvmZ1F6dQ :2006/08/19(土) 21:52:50.24 ID:Ns7BbRmq0

 いつでも私の夢は、崩壊した世界の中心で始まった。
空が赤黒く、もろい家屋やビルが、その中身をむき出しにして倒れている。
瓦礫に取り残された私は、足を傷だらけにしながら、他人を求め彷徨った。
この先は、毎回違う運命が待っていた。時に野垂れ死に、時に野獣に食われる。
ただ死ぬこともなく歩き続けるという運命もあった。
しかし結末は、いつでも同じである。時が経つと、どこからか女が現れるのだ。
太陽のような光を背にしたその女。逆光で顔が見えなかったが、目だけが藍に輝いて見えた。
その女は、私を、またはその屍を光の中へと連れて行く。その光は朝日と重なって、私を目覚めに導いた。
救いの手を差し伸べるその女を、私はいつからか、悪夢を食べるという獏に例えた。

おわり



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