【 心跡−あしあと− 】
◆WGnaka/o0o
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219 名前: ◆WGnaka/o0o :2006/08/14(月) 00:44:00.41 ID:63pLi4I30
 太陽の光を受けて煌き揺れる、彼方まで広がった蒼一面の海。昔と変わらない美しさを称える。
 地元の浜辺という土地柄もあり、幼い頃に良く友達と遊んだこの場所が私は好きだった。
 それが夏だろうと冬だろうと関係無く、一年中この海を眺めながら過ごしていた。
 毎日砂だらけになって駆け回り、ときにはそのまま海で泳いでみたり。今となっては懐かしい思い出。
 久しぶりに訪れて独り波打ち際を歩きながら、昔のことを思い出して少しばかり感傷的になる。
 穏やかに砂浜を打ち付ける小波は、私の足元を漂いながら流砂たちを奪ってゆく。
 真っ白なビーチサンダルが刻み続けた足跡を、この波は跡形も無く消し去ってしまう。
 潮風で乱れた前髪を抑えながら振り返って見ても、私の歩いてきた証はどこにも無かった。
 また小波が足元を掬うように流れ着く。蒼い海の体は、私の心みたいに冷たい。
 一瞬だけ涙が出そうになった自分が恥ずかしくて、浜辺には誰も居ないのに思わず空を見上げた。
 なぜだろう。海の蒼さと違い、空の青さには温かさがあった。太陽の日差しのせいだろうか。
 遠くで一羽の鳥が優雅に羽をはばたかせ飛んでいる。遠目では鳥の種類までは判らなかった。
 あの鳥のように空を飛べたのなら、きっと自分の歩んできた道さえ振り返ることもないのだろう。
 地に足が着いてしまっているから、残した足跡を見返してしまうのかもしれない。
 例え今も打ち付けるこの小波が道を消してしまっても、私は新たな道を探して歩くしかないのだろう。
 残すは後悔の足跡。縋るは希望の荊道。そして、歩く両足には鎖で繋がれた足枷が重く。
 懺悔をさせるための見えない枷を付けて、いったい私はどこへ向かえば良いのか判らない。
 小波でも消せない足跡を残しながら、独り真夏の浜辺をいつまでも歩き続けた。


 夏休みもそろそろ終わる頃になると、蝉の鳴き声は大人しくなり、暑さもだいぶ抜けてくる。
 過ごし易くなる一方とは裏腹に、極端に多い夏休みの課題に私は頭を悩ませていた。
 どうしてこんなにもやるべきことが多くなるのだろう。シャープペンを握る手もなかなか進まない。
 一ヶ月以上の長期休暇の代償が、この大量の課題だとしたら仕方無いのかも。

220 名前: ◆WGnaka/o0o :2006/08/14(月) 00:45:01.56 ID:63pLi4I30
 計画的にこなしていれば、すでに終わっていても良いはずなのだけれど、生憎私は計画性に乏しい。
 お小遣いのやりくりでさえ苦手だったり、学校行事や係員でも大して役に立てなかったりする。
 周りの友達はみんな計画性というか、物事に対しての要領が良くて羨ましく思う。
 きっともう課題だって早めに終わらして、残りの夏休みを遊び呆けながら満喫しているに違いない。
 実際、私の携帯電話に掛かってくるのは誘いの電話ばかり。人の気も知らず今も着信音は鳴り響く。
 そんな甘い誘惑に何度も負け続けて、今更こんな目に遭っている私もバカなんだけど。
 溜め息を吐いてから煩い携帯電話を掴んで液晶を覗き込む。表示された名前は見慣れたものだった。
 どうせいつもの誘いだろうと思いながら通話ボタンを押し、スピーカー部分を耳に当てて言葉を待つ。
「やっほー、いきなりだけど今暇?」
 甲高い声にいつも通りの切り出し方。断ればきっと次は『じゃあまた明日遊ぼーね』って言うはず。
「ごめん、まだ課題が残っててさ、あんまし暇じゃないんだよね」
「そっかー、折角面白いことになってんだけどなぁ。いや〜残念残念」
 珍しく食い下がってくるその口調に、少しだけ私は気になってしまう。
「面白いこと?」
 だから私は思わず食い付いてしまった。目の前にご馳走が置かれたら、誰だって飛びつくだろう。
 まさに予想通りといった様子で、電話口の主は嬉しそうに声色のキーを上げる。
「帰ってきてるんだってさ、アイツが――」

  【 第20回品評会お題「道」/ 心跡−あしあと− 】

221 名前: ◆WGnaka/o0o :2006/08/14(月) 00:45:41.66 ID:63pLi4I30
 カラカラと車椅子のタイヤが回る。銀色のホイールが夕暮れの射光を浴びて黄金色に変わった。
 相変わらず人気の無い砂浜には、不規則な波音が私の周りを包んでいる。
 目の前でゆっくり走る車椅子の影に距離を置き追う。その背に掛ける言葉が見つからなかった。
 砂浜に作られた二筋のタイヤ痕は、歩くことの出来なくなった彼が残す足跡。
 その無機質な溝の間に、私の足跡が刻まれる。懺悔の言葉を胸に思いながら。
 無言のままどれくらい歩いただろうか。視界の隅で揺らめいていた影が止まった。
「……この場所は、全然変わってないな」
 タイヤを漕ぐ手を休め、彼はオレンジに染まった海を眺めながらそう言った。
 まるで懐かしむように紡ぐ言葉の中には、優しいものが混じっているようにも思える。
「子供の頃は我を忘れるほどにハシャギ回ったっけ……」
 ズキリと胸が痛んだ。彼はもうそんなことを出来ない体になってしまった。
 改めて彼が車椅子を必要としなければならなくなった、そのきっかけを思い出して痛感する。
 彼の足が動かなくなってしまったのは、ちょうど今から二年前のこと。
 当時まだ中学生だった私たちは、受験という日々に追われる毎日を送っていた。
 頭も良くない、勉強の要領も悪い、進路の計画性も皆無な私にとっては地獄のような毎日。
 そして、夏休みにも受けさせられた補習授業の帰り、疲れ果ててしまった私は車道に飛び出していた。
 無意識の内にしてしまった行為だったのかもしれないと、いまさらになって思う。
 農家が良く乗っている軽トラックに轢かれるはずが、なぜだか私は反対側の歩道にまで転がっていた。
 動転した頭で元居た車道へ振り返ると、足から大量の出血と苦悶の表情を浮かべる彼の姿。
 さらに困惑する頭は思考することを止め、その場で私の意識は閉ざされてしまう。
 それから重傷を負った彼は治療のため、大きい病院のある街へと引っ越すことになった。
 あまりにも突然のことで私はお別れも言えず、謝罪すら出来ないままだった。
 田舎のせいで携帯電話も普及するのが遅く、彼の家の連絡先も知らなかったから、彼とはそれっきり。
 友達の介入もあっての再会は実に二年振りで、まだ私の気持ちには整理がついていなかった。

222 名前: ◆WGnaka/o0o :2006/08/14(月) 00:46:16.75 ID:63pLi4I30
「――まだ、気にしてるのか?」
 その声で我に返ると、いつの間にか彼の車椅子はこちらを向いていた。
 夕陽の逆光で隠れた表情は見えないけど、悲しみを含んだ雰囲気が漂っている気がする。
 彼の姿を直視できなくなって視線を落とした。車椅子の足跡が目に飛び込んでくる。
 それだけで私のせいだと胸が苦しくなった。悔しくて切なくて、きつく結んだ唇が震えた。
「ごめん、なさい……」
 その一言だけが精一杯だった。
「あのときはなぁ、お前を助けようと必死だった。たまたま通りがかったのが幸いしたよ」
 地平線に沈む夕陽が闇を落とすと、それまであった逆行がなくなる。
「俺はさ、命だって投げ出せる覚悟はあったんだぜ。好きな女のために命を張る。カッコイイだろ?」
 零れそうな涙を堪え、私は前を見据えた。少し大人びた彼の顔には、微笑みすら浮かんでいた。

 これからは、重い枷の外れた両足で歩いて行こう。まだ痛みは残るけれど、今までとは違う足跡を。
「しばらく、こうしててくれないか?」
「うん、いいよ。私に出来ることならいくらでも」
 握った車椅子のグリップから、砂利の混じった砂浜を進む振動が伝わってくる。
 星空と満月に照らされた藍色の海を尻目に、私たち二人は前へ前へと歩む。
 小波に消されないように刻み付ける足跡たちは、きっといつの日か道標になると信じて。
 揺れる車椅子に座った彼は、いつしか子供のように寝息をたてながら夢の中へと。
「ありがとう」と眠る彼にそっと言ってから、私は笑って涙を一筋流した。
 懺悔と後悔ばかりだった私の道は、これから違うものに変わってほしいと空の月に願う。

 そしてその後、彼は夏休みが終わるとこの町に戻り、私たちと残りの高校生活を送ることとなった。


   了



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