【 地獄ヨリ訃報 】
◆HGGslycgr6




893 名前:G ◆HGGslycgr6 投稿日:2006/04/02(日) 19:32:42.04 OaOjGoec0
『地獄ヨリ訃報』


それはある蒸し暑い夏の日のことだった。
当時大学生だった俺は一人暮らしをしていたが、自立心とか言う立派なものを持ち合わせる
程の人間でもなく、そうかと言って将来に立派な目標なんかを持つことも無く、毎日をただ
適当に生き続けていた。
俺の人生は時間こそ進んでいるにしろ、間違いなく停滞していた。
言うなればプラットホームでただ行き交う電車を見ているような、そんな人生だ。
決して自分はその電車には乗らないのだ。それは居心地の良いベンチがそこにあったから
と言うわけではない。
ただ、せわしなくどこかへと向かっていく電車に俺は乗りたくなかったのである。
けれどもその日、そんな俺を誘い込むかのように怪しい列車が突然ホームに急停車してきたのだ。

 それは一枚の手紙から始まった。
朝起きて、俺はいつものように郵便物をチェックした。
いかにも勧誘と言うような雰囲気の封筒をバサバサとゴミ箱に投げ捨てていると、ただ1つだけ
俺は妙に味気ない茶封筒を見つけたので、ついつい捨てずにじっくりと観察してしまった。
新聞を取ってない俺にとって、郵便物なんてものには自分にとってプラスになるような
物など含まれているはずが無い。ましてやこの電子社会に於いては尚更のことだった。
そんな考えを持つ俺だから、いつもなら開封せずに郵便などはすべてまとめて捨てて
しまうのだが、その簡素な作りは逆に俺の好奇心を煽った。
社名が入っているわけでもなく、何の飾り気も無い茶封筒には、機械で打ったような角張った
文字で俺の住所と名前が書いてあるだけだった。
乱暴にその端を破り捨て、中から出てきた一枚の紙を広げると、俺は無意識のうちに読み上げる。
「地獄より訃報。本日大禍時、比の文を読みし者、之成る硬貨に由り其の生涯を閉づ……」
そこまで読んだところで傾いた封筒から、何かがこぼれ落ちてきた。
それは甲高い金属音を響かせて、俺の元から逃げるようにフローリングを転がって行ったものの
テーブルの足にぶつかり失速すると、ようやくその腰を下ろした。
近づいてみるとなんてことは無い。そいつはいつもの見慣れた500円玉だったのだ。

  894 名前:G ◆HGGslycgr6 投稿日:2006/04/02(日) 19:33:12.80 OaOjGoec0
 「馬鹿馬鹿しい……」
読み終えると同時に俺はそう思った。まず地獄から手紙が届いたなんて、今時子供でも信じはしない。
加えて何かと思えば500円玉で命を落とすとまで書いてある。しかも時間指定付きなのだ。
イタズラにしても態々金を払ってまでする事なのかと、顔も見えぬ差出人を思い俺は溜息を吐いた。
しかし、それでも俺はその手紙を捨てはしなかったし、硬貨を財布に入れることは無かった。
突然訪れてきた変化に、これ以上日常をかき回されるのはゴメンだったからだ。
不安の無い生活に慣れてしまった俺にとって、この程度の少しの不安も恐怖だったのだ。
内心で馬鹿にしているのは言わば単なる強がりで、膨れ上がる恐怖に背を向けることに
よって自分の腹に抱える日常を守ろうとしていたのかもしれない。
時間帯はまだ真昼、今日一日くらい凡そ500円玉とは縁遠いところに身を置くのも面白いだろう。
俺はそう考えて、財布に入っていた500円玉も取り出しテーブルの上に放り投げると
そのままの格好で家を出て、当ての無い散歩へと向かった。

 当ての無い散歩とは言うものの、勿論商店街や銀行に行きなどはしない。
人通りの多い場所も禁物だし、自動販売機なんて以っての外である。
しかし、そうなると一体この世の中で俺が安心できる場所はどこなのだろうか。
そんなことを考えながら俺はなるべく人が居ない方へと、どんどん進んでいった。
人を避け、機械を避け、空がオレンジ色になった頃には気付けば俺は見知らぬ山道に居た。
名も分からぬ鳥のさえずり、遠くを流れる小川のせせらぎ、大自然のBGMに身を包まれ
俺は何時に無く爽快な気分になっていた。
 「こういう事だったのかな……」
もしかしたらあの手紙は俺の今までの澱んだ人生が終わるって事だったのかもしれない。


895 名前:G ◆HGGslycgr6 投稿日:2006/04/02(日) 19:33:36.50 OaOjGoec0
 思考がプラスに傾き始めると共に視界が急に開け、眼前にはダイナミックな渓谷が広がった。
ゴツゴツとした岩肌や、遥か下を流れる渓流に、俺は自然の力強さや繊細さを感じ取った。
狭い部屋に篭っていては絶対に湧き上がらない開放感に包まれ、俺は橋の上を歩き出す。
ふと視線を横にやると、ちょうどいい具合に夕日が岸壁に溶け込んでいるのが見えた。
手すりを掴みながら、俺は震えるような感動をそこで味わう。
自然とはこんなにも美しいものだったのかと。
 「これなら……明日から頑張れるような気がするな」
俺は少々の高揚感と共に、自分の未来が開けていくような錯覚を覚えた。
そして俺は暖かい夕日に包まれながら、大きく伸びをして――何故か足元が後ろへスライドした。
そのまま勢いづいた体は、その重心を前方に崩し、俺は何もない空間へと頭から飛び出す。
 「え――」
景色は一転、その懐の深さをぐるりと底なしの恐怖へと変え、俺を殺そうと引き込んでくる。
間違いない、何かを踏んだ。その所為で急に地面がその摩擦を失ったのだ。
しかし、気付いたところで既に上半身は完全に橋の外へと投げ出されている。
まるでコマ送りのようになってしまったその世界の中で、俺は人生最後の景色をその眼に見た。
橋から完全に転落する間際俺の視界が捕らえたものは、真っ赤な夕日を反射した500円玉だった。



―終―



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