【 落日賦 〜Sic transit gloria mundi〜 】
◆Awb6SrK3w6




305 名前:落日賦 〜Sic transit gloria mundi〜 ◆Awb6SrK3w6 :2006/08/06(日) 01:41:20.41 ID:ZB7Iunpi0
身を纏う厚いトガが、私に汗をにじませる。満身を裂かれるような心を抱え、私はカピドリヌスの丘を登っていた。
ローマ入城を果たしたヴァンダル人は、己の欲の赴くままに、市街を荒らし回っていたのである。
あのまま市中にいたならば、とっくにゲルマンの蛮刀に切り伏せられる所となっていただろう。
純粋な暴虐は、既にローマ市民を哀しみの渦に叩き落としていた。
かつて世界の中心だったこの街は、今や蛮族の荒らし回るところとなっている。
世界の中枢フォルム・ロマヌムは、ズボンという暑苦しい衣を身にまとう野卑な男達の寝所となり、
皇帝廟に飾られた偉大な皇帝達の立像は、考えることを知らぬ者たちの愉快な玩具となっていた。
マルスの野にはその蛮行を止める軍はない。それを率いるインペラトルもいない。
元老院はコンスタンティノープルへと去り、市民は堕落し市民たる気概を無くして数百余年が過ぎている。
嘆きは反芻して臓腑を行き交いし、私は重いその足とトガをひきずって歩く。

丘を登りきった頃は既に夕刻となっていた。
太陽が地平へ。更にその先の地中海――昔日、私たちが「我らの海」と呼んだあの海へ――へと沈んでゆく。
ガリア、アクィターニア、ヒスパニア、ブリタニア、ゲルマニア、そしてイタリア。
眼の先にあるオチデントが深い闇に覆われてゆくのが、かつての神殿のある丘から一望できた。
それはいつもの風景である。だが、その日の私にはいつもと違う異様な雰囲気を感じさせる物だった。
暗黒は今、夜を迎える自分たちだけを覆うのではなく。遙か彼方の百年、五百年。
あるいは十世紀先の想像もつかぬ未来を生きる人々まで。深く深く包んでゆくのではないか。
考えても甲斐の無い、なんとも言えない予感である。自分のいない世の事まで憂えて一体何になるだろう。
首を振りそう私は思い直すのだが、どうもその考えは私の脳から離れてくれなかった。

既に黒が空に垂れている。星も月も姿を隠し、どんよりとした雲があるだけである。
今になって歴史を思えば。既に運命の輪は一回転したのかも知れない。
パピルスや羊皮はそれを余りにも雄弁に、今の私たちに話しかけてくれている。
エジプト、トロイ、アテネ、カルタゴ。栄華を誇った者たちの最期はいつも悲惨なものであると。
「いつかは聖なるイリオンが滅びる日もくるだろう。
そしてイリオンと共にプリアモスも、また槍の巧みな使い手だったその民も滅びるだろう」
感傷が身を貫いて、震えが私に記憶の底にこびりついた詩を紡がせた。
イリアスの一節が夜の風に舞い、吟詠がこの偉大な都市の弔詞となる。
そう思い私は涙を一行下らせて、よりいっそう強く喉を震わせた。



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