【 希薄な罪悪感 】
◆Awb6SrK3w6




466 名前:希薄な罪悪感 1/3 ◆Awb6SrK3w6 投稿日:2006/07/23(日) 23:48:17.26 ID:I9ozrS/U0
その日、私はある事件の後始末として、現場に乗り込んでいた。
特に珍しいところのない、鄙びたアパートの一室。
それが、この国で最も重い罪が犯されていた現場である。
私はその狭いリビングをくるりと見渡す。カーペットが敷かれ、中央にはテーブルが置かれている。
軟らかそうなソファーがテーブルに付き合うようにして配置されており、
これから見ても罪を犯した者の経済状況が把握できた。
至って平均的な家庭。重罪を犯すとは思えない平和な家庭が伺える。
だが、普通の中流家庭には無い物が、そのリビングにはあった。
それこそ、彼らを犯罪者へと堕落させた存在してはならぬ物である。それは、戸棚の上にぽつりと佇んでいた。
側面に改造した跡が伺える、小さなラジオが置かれていた。

この国のラジオのダイアルは全て固定されている。
国営放送の一局しか受信しないラジオが、この国の人々が情報を手に入れる主要な手段なのだ。
だが、ラジオのダイアルはあくまでもはんだで固定されただけであり、
ちょっとした改造で、ダイアルは回せるようになっている。
はんだを少し溶かすだけで、隣国の放送電波が入ってくる環境を手にすることができるのだ。
こんな欠陥をどうして直さないのか。それにはなんとも情けない理由があって、
国内のラジオ工場が他国のラジオの生産ラインをそのまま使っているからであるらしいのだが…
まあ、これはあんまり関係ない話だ。

国家は他国の放送を聞くことを固く禁じている。
資本主義の毒が、国民を汚染することになるというのがその理由であり、
これを破った者には、かなり重い刑罰――無期懲役や死刑などだ――が課せられた。
だが、正直なところ私はこの国家の見解に懐疑的であった。
そのような物で、我々の国家の精神の主柱となっている社会全体の人々が等しく幸福を得るという
主義主張がそう簡単に揺らぐであろうか。そんな筈があるまい。
そこで、私は改造ラジオを押収し、ひっそりと隠れて自宅の一室にこもり、
他国の放送とやらを聞いて、笑い飛ばすことにしたのである。

467 名前:希薄な罪悪感 2/3 ◆Awb6SrK3w6 投稿日:2006/07/23(日) 23:49:03.96 ID:I9ozrS/U0
家に帰るなり、箱に入れていたラジオを私は取り出した。
すぐさまラジオの電源を入れる。ザーザーというひどい雑音が私の鼓膜を刺激する。
「一体、何だこりゃ?」
思わず呟いた。最初は壊れているのかと思ったが、
しばらくして、私はダイアルの真の使い方に気がついた。これで、電波の波長を合わせるのである。
国産のラジオではダイアルなんて回す必要がないので、
このような物を扱うのは初めてのことだったが、ゆっくり慎重に回している内に、
私はある局の放送を探し当てることができた。

ラジオから流れてきたのは、討論番組であったようだ。
「やはり、隣国の拉致について、我々は強く抗議をしていくべきなのです!」
耳にキンと響く、強くヒステリックな声。私はそれに思わず耳を塞ぐ。
隣国? 隣国の隣国は我々の国である。
拉致? ということは、我々の国が誰かを拉致でもしたということか?
私は己の耳を疑った。
そんな、バカなはずがあるまい。なるほど、これは聞いてはいけない放送だ。
国家が禁じるわけである。我々にデマを流して混乱をさせる。それがこの放送を流している連中の思惑なのだ。
だが、私の心の中には一つ思い当たることもあった。
軍教練部の隣国の言語の教官が、実は他国の捕虜であるという話である。
彼は隣国からの亡命者であるのだが、何故か隣国に同情的な発言が時々見られるらしく、
そういう事から立った根も葉もない噂だろうと思っていたのだが……。
いや、まさかな。そう思い直し酒の一杯でも飲むことにした。
焼酎を割って一息つく。そう、他国の放送にこれほど動揺することもないのだ。
だが。とんでもないでたらめとわかっていてもである。先ほどの事が非常に気になって私は落ち着けそうになかった。
そうだ。明日、軍にでも行って話でも聞いてみることにしよう。
私はコップ片手にソファーに深く身を委ね、ラジオをBGMにそのような事をずっと考えていた。

これ以後、私は隣国のラジオ放送で聞いたことの裏を取ることを始めた。
そう簡単に裏が取れるような物でもないが、調べる度に否と切って捨てるわけにもいかない
情報が私の下に流れ込んでくるようになり、私は次第に自分の母国を疑うようになっていった。

468 名前:希薄な罪悪感 3/3 ◆Awb6SrK3w6 投稿日:2006/07/23(日) 23:49:24.57 ID:I9ozrS/U0
私の内心の変化は次第に行動に表れるようになっていった。
時には、酒に酔って反政府的な言葉を吐くようなこともしてしまったようである。
私は警察内部でも自分の居場所を失い、気づけばこの国の社会の中で一人孤立をしていた。
そして、とうとう反政府的な思想が見られると、家宅捜索をされることと相成ったのである。
当然、見つかるのは一台の改造済みラジオ。
私は犯罪者へと堕ちていた。

今の私にはこの国の犯罪の基準がよく分からない。
人を殺すのは無論、裁かれるべき罪である。
物を盗むのも勿論、相応の償いをするべき事である。
だが、ラジオを付けて、他国の放送を聞くと言うことが、一体何の罪となるのか。
あらゆる情報を統制し、真実を知る自由を国民から奪っているこの国こそが犯罪者なのではあるまいか。

「言い残すことはあるか?」
目を閉じて全てを思い出していた私に、刑を執行する刑務官が話しかける。
「さっぱり、分からなくなってしまった」
私は己の本心をただ述べた。
十三段ある階段を、私は一段一段踏みしめるて登り、そして。
頂上にたどり着いた私の足下でガタンという音がした。
私は何を償うべきなのかわからぬまま、その命を絞首台に引っかけた。



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