【 鳥を追う 】
◆Vjt3Bl5hbM




807 名前:1/3 ◆Vjt3Bl5hbM :2006/07/16(日) 13:23:52.33 ID:R+ES4bDQ0
朝から降る雨は、街全体を灰色のフィルターで包んでいた。
私は踏み切りの遮断機が下りるのを見つめながら、両耳を塞ぐ。癖のようなものだ。
左手だけを、一瞬離す。左手は迷いなくラジオのつまみへ向かった。
私は、ラジオをつけることは滅多にない。今日は、なんとなく寂しかったのだ。
雨のせいかもしれない。それとも、あそこに見える、雨宿りをするカラスのせいか。
程なくして、車内にはテンションの高いラジオ番組が流れ出した。
溜め息をつき、ふたたび耳を塞いだ。
そうこうしていると、とっくに電車は通り過ぎ、遮断機が上がりかけている。
私はゆっくりと、アクセルを踏み込んだ。

夏の日の、やけに涼しい朝。
幼い頃の私は、なんの合図もなしに、目覚めた。
夏休み中で、早く起きる必要はなかった。兄弟も、まだ誰も起きていない。
それなのに、私はそそくさと出掛ける準備をし、誰にも見つからぬよう家を出た。
私の住んでいた場所は、まだ都市開発の及んでいない、山中だった。
夏の時期にはオオクワガタを捕まえることができたし、近所の川がプール代わりになった。
当時、そこらで一番近代的と言えたのは、ふもとにある踏み切りだろう。
駅からは2キロほど離れたその踏み切りは、子供たちのいい遊び場だった。
早起きをした私が向かったのも、そこだった。
「秋ちゃん」
踏み切りを乗り越え、すこし進むと、昔防空壕だったという洞穴がある。
そこに、秋子はいた。そして、秋子の腕の中には、竹細工の籠があった。
「何か、持って来てくれた?」
秋子の言葉に、私は、ポケットから豆を取り出す。家からこっそり持ってきたものだ。
秋子は豆を受け取ると、籠の中へとそれを入れた。
籠のほんの少しの隙間から、鳥の頭が覗いた。──ピー太郎。
私と秋子は、内緒で、怪我をし地面に落ちていた野鳥を飼っていた。
その時、とっくにピー太郎は、怪我が治っていた。だが、せっかく手に入れた可愛い鳥を、
私も秋子も手放したくなかったのだ。

808 名前:2/3 ◆Vjt3Bl5hbM :2006/07/16(日) 13:24:23.93 ID:R+ES4bDQ0

幼い頃に、こっそりと動物を飼う。よくある思い出話だ。
鳥を見るたびに、私はピー太郎のことを思い出す。
しかし、懐かしい気持ちになることはない。ただ、ひたすら寂しくなるのだ。
相変わらず、気持ちは暗かったが、もう私はラジオを切った。
うるさいものは、好きじゃない。
静かに、淡々と車を進める。
その時、私の車の無線が、機械音を発した。
『そちらに盗難車に乗ったホシが向かっている』
私は了解、とだけ呟いた。私の乗る、白黒に染められた車は、雨の中で方向を変えた。

「あっ」
秋子が小さな悲鳴をあげた。
秋子の前に、籠が転がる。羽音を立てて、ピー太郎が宙に浮いた。
私が驚いている隙に、ピー太郎は洞穴を抜け、夏の空の下に躍り出た。
私は、思わずピー太郎へ手を伸ばす。届かない。ふいに、私の横を秋子が駆け抜けた。
ピー太郎を追い、走り出す秋子。私も、走りざるをえない。
洞穴を抜け、私が見た空は、灰色だった。

809 名前:3/3 ◆Vjt3Bl5hbM :2006/07/16(日) 13:24:48.06 ID:R+ES4bDQ0

ピー太郎は、低い位置を飛んでいた。きっと、秋子にも届く。
秋子は走った。ピー太郎が右へと曲がれば、秋子も曲がった。
柔らかい土が、秋子によって巻き上げられる。後ろをくっついて走る私に、
土が掛かった。それでも、秋子は振り向こうとしない。
何日間も、世話をしてきた鳥を、そう簡単に諦めることは出来ない。
走りに走って、いつしか最初の洞穴に戻ってきていた。
ピー太郎が、付近の木に、止まった。
しかし、秋子が登ろうと木に手をかけた瞬間、ふたたび飛び立つ。
今度は、高い位置を飛び始めた。
秋子は、ほぼ真上を見る姿勢になりながらも、走っていた。
踏み切りの方へ、ピー太郎は向かう。秋子も、向かう。
この時、秋子の背中を見る私の心に、一抹の不安が過ぎっていた。
私が鉄道に足を掛けた瞬間、けたたましい音が鳴った。
カン、カン、カン、カン、カン、
これは、この喧しい音は。
遮断機が、秋子の前を遮る。後ろをも遮る。
音は、鳴り止まない。
同じ音を、今、私は聞いていた。あの時と同じ音だ。
あの時と同じ場所、同じ音、私の、大嫌いな音。
うるさいものは、嫌いだ。私は、耳を塞ぐ。目を瞑る。
最後に私が見たものは、踏み切りの向こう側を飛ぶカラスだった。

おわり



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