【 Oneday in the Rain 】
◆2LnoVeLzqY




713 :Oneday in the Rain ◆2LnoVeLzqY :2006/07/10(月) 00:09:57.38 ID:leGwd4h20
地下鉄を降りて、バスターミナルへ続く階段をだらだらと上った。
郊外の小さなバスターミナル。
その小さなガラス張りの待合室に入ってみたら、外はお天道様がご機嫌斜め。
地下鉄に乗ったときとはうって変わって、雨粒が止まらないリズムを刻んでいた。

雨は、嫌いじゃない。
重たいリズムばかりが耳に届くから、周囲から音が消えてしまったみたいに感じる。
それはなんだか不思議な感じ。どことなく、神聖な感じ。
もしも奇跡なんてものが起こるとしたら、その日は雨なんだろうと僕は思う。

彼女の家に行くつもりでここまで来た。
普段なら歩いて二十分だけど、外はこのありさま。
奇跡とやらが起こるなら、とりあえず晴れにしてもらいたい。
だけどそれは不可能だから、傘を買って歩くか、バスを待ってそれに乗るか。
目的のバスは行ってしまったばかりのようで、次のが来るまで四十分弱。
だけど売店で傘の値段を見たら、馬鹿みたいに高い。
急いでるわけでもないから、僕はバスを待つことにした。彼女にも、少し待っていてもらおう。

誰も座っていないベンチを見つけて、腰をおろす。ちょうど3人がけぐらい。
持ってきたトートバッグをそっとベンチの上、僕の隣に置いて、正面のガラス越しに外を眺める。
寂れた商店街が向こうに見える。歩く人影は見当たらない。
待合室の中を見渡しても、僕の他にバスを待っている人はほとんどいない。
ちゃんと天気予報を見る人なら、僕みたいな目には遭わないんだろうな。

ふと、階段を上がって待合室に入ってくるおばあさんの姿が見えた。
僕のベンチは階段から一番近いから、そのおばあさんもこっちに向かってくる。
そして、その人と僕の目が合った。
僕はベンチの上に置いてある僕のバッグをどけて、もう一度おばあさんを見た。
おばあさんはにっこりと微笑んで、僕に「ありがとうね」と言って、それから隣に腰掛けた。


714 :Oneday in the Rain ◆2LnoVeLzqY :2006/07/10(月) 00:10:36.10 ID:leGwd4h20
ありがとう、なんて。バッグをベンチの上に置いていた僕が言われる言葉じゃないだろう。
それなのにおばあさんは、また口を開いた。
「最近の若い人はって言うけれど、優しい人もたくさんいるのよね」
おばあさんはそう言うと、その言葉に満足したふうに微笑んで、それっきりぱったりとしゃべらなくなった。
優しい、だなんて、今の僕には少し、荷が重すぎる言葉だ。
優しい、だなんて。
おばあさんは、彼女自身の目的のバスが来たのを見ると、杖をついたおぼろげな足取りで乗り込んでいった。
僕は自分のバッグの中にあるものを見て、それからさっきの言葉を思い出していた。

雨はちっとも止む気配が無くて、重たそうな雲は一向に動くつもりはないように見えた。
おばあさんがバスに乗ったあとも、僕はベンチの上にバッグを戻したりはしなかった。
それはきっと、おばあさんの言葉に込められた期待に添おうとしていたのかもしれないし、
または純粋に、その言葉が嬉しかっただけなのかもしれない。
そんな単純な、単細胞な人間なのだ、僕は。優しいなんて言葉は、手の届かない場所にある。

次に僕の隣に座った人は、サラリーマン風の中年の男の人だった。
彼は席に着くなり、手に持っていた小説を開いて読み始めた。
ちらっと横目で表紙を見てみたら、この前ベストセラーになっていた恋愛小説だった。
彼女に薦められたっけ。泣けるよ、面白いよ、って。
彼女から借りて読んでみたけれど、ちっとも泣けなかったし、面白いとも感じなかった。
主人公は僕と同じくらいの年齢だった。
だから今思えば、嫉妬とか、憧れとか、いろいろ考えちゃって、そのままいつの間にか読み終わってただけなんだ。
隣に座っている男の人は、どんな気持ちでこの小説を読んでいるんだろう。
青春時代を思い出してるのかな、それともやっぱり、憧れとか感じるのかな。
もういちど、彼の手元の本を横目で見てみる。
ページは残り少ない。きっとクライマックスに入るところなんだろうな。
突然、彼が立ち上がった。外を見るとバスが1台停まっていた。
僕が乗るバスじゃないけれど、彼はこれに乗るのだろう。慌ててバスに駆け寄って、行き先を確かめて乗り込んでいった。
彼が行ってしまったあと、念のためにバッグの中身を確認した。
それからもう一度だけ、あの小説を読んでみようかな、なんて思った。


715 :Oneday in the Rain ◆2LnoVeLzqY :2006/07/10(月) 00:10:57.79 ID:leGwd4h20

バスが来るまであと二十分弱ぐらい。
次に僕の隣に座ったのは、同い年か少し年上ぐらいの女の子。
しかもその子、座った途端に睡眠のスイッチがオンになったらしい。
頭がゆらりゆらり。肩もゆらりゆらり。
そしてついには、僕の肩に頭を預けてすやすやと眠り始めた。
見てる人はいないけれど、やっぱりちょっと恥ずかしい。
ふと、またバスが来た。僕の乗るバスじゃないけれど、この女の子はどうなんだろう。
「あの…。バス、来ましたよ」
僕がそう言うと、彼女は漫画みたいに跳ね起きて、走ってバスに乗り込んでいった。
と、思ってたら、すぐに降りてきた。どうやらバスを間違えたらしい。
ちょっと申し訳ないけれど、赤面しながら時計を見る仕草はちょっと可愛らしい。
彼女はそのまま僕の隣にまた腰をおろした。そして重苦しい沈黙。
何か声を掛けたほうがいいのかな。思い切って沈黙を破ってみることにした。
「…あ、あの…」
「…あ、あの…」
情けないハーモニー。僕と彼女のおりなす不協和音。
口をついて出た言葉が同じとはこれ如何に。今度はたまらず僕も赤面だ。
「バス、間違っちゃったんですか?僕のせいだったらごめんなさい」
最後の方は早口で一気に言いぬいた。恥ずかしかったから。
「いいんです、寝ちゃった私の方が悪いんです。起こしてくれて、ありがとうございます」
今日2回目のありがとう。結局、ここから会話は続かなかった。


716 :Oneday in the Rain ◆2LnoVeLzqY :2006/07/10(月) 00:11:52.96 ID:leGwd4h20

数分後、目的のバスが来た。外はまだ雨模様だ。
バスに乗り込もうと立ち上がろうとしたそのとき、隣の女の子も同時に立ち上がった。
もしかして、いやきっと同じバスなのだろう。
このバスに乗ると、僕の彼女の家にたどり着く。
もう一度だけ、バッグの中を確かめる。そこにはナイフと、睡眠薬。
人を殺そうとする人間に、感謝のことばは似合わない。
似合わない。そうだ、似合わない。
優しい人だということば。ありがとうという感謝のことば。
僕はそんな言葉たちに値するだけの人間なんだろうか。
もしそうだとしたら僕は、僕の彼女を殺さずに済むんだろうか。
あの小説をもう一度、借りれるだろうか。

もしも奇跡なんてものが起こるとしたら、その日は雨だと僕は思う。
奇跡は期待してないけれど。僕はバッグをゴミ箱に投げ捨てて、雨の中へと駆け出した。



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