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【 Trickster 】
◆WGnaka/o0o




771 名前: ◆WGnaka/o0o :2006/06/05(月) 00:19:54.94 ID:gol6ZuMU0
 第10回品評会お題「噂」/ Trickster

 身の丈以上もある分厚い鋼鉄製のドアを前に、俺は直立不動のまま目の前の鉄壁を見詰め続けていた。
 藍色のペンキ塗料が剥がれたところは鉄錆が侵食し、最近誰かがドアを開けた痕跡も無い。
 緊張からか喉を一回鳴らして、鈍く光る銀のノブへと右手を掛けて外回りに捻った。
 もう秋間近とは言えまだ夏の暖かさが残る中なのに、なぜかそこだけひんやりと冷たくて驚いてしまう。
 立ちはだかる無機質なドアと、警告するように冷たいノブに背筋が凍る思いだった。
 そのとき不意にあの噂話が俺の脳裏をかすめた。
『午後4時44分丁度に屋上へ行くと、飛び降り自殺した少女の幽霊が現れる』
 まるでどこにでも存在する学園七不思議の内の一つ。そんな素っ頓狂な噂。
 現に誰かが見たり写真に撮ったりしたという証拠も無く、本当にただの噂として成り立っていた。
 閉鎖空間という規律された学校内においては、そんな心躍るものが何より興味を惹かれるのだろう。
 その手のオカルトが大好物な女友達の美耶子に聞けば、噂話が広まり始めたのはつい最近のことらしい。
 美耶子は真相を確かめるため、個人で動くほどの熱の入れようだ。もしかしたら事の発端はこいつかもしれない。
 そしてある日、唐突に美耶子から聞かされたことに、あまりそいったことを信じない俺でも驚いたことは確かだ。
 今の俺たち三年生が入学する前、つまり四年前に屋上で飛び降り自殺があったことは事実だった。
 当時の地方新聞の切り抜きを見せられたから、それだけで信用できるネタであることは間違いない。
 ただ、自殺者の個人情報と安否については伏せられ、詳しいことは判らずじまいであった。
 先生たちに聞いてみても良い反応は返ってこなかった。公に出来ないことなのか、それとも忘れたいことなのか。
 兎にも角にも、今ではそんな事情も絡み合って校内をその噂話が支配していた。
 現在の俺のように何人も4時44分に屋上へと挑んで行ったが、結局は何も起こらなかったという。
 そんな簡単に暴かれるものなら、信憑性の無い噂話からおぞましい怪奇話へと昇格してる頃だ。
 だからこそ、今でも不思議に噂として語られているのだろう。
 もしも俺が今日、真相を目のあたりにしたのならば、今の今まで信じなかったものもすべて信じてやるさ。
 鋼鉄製のドアを力一杯に押し開けながら、そんなことを胸に誓った。


772 名前: ◆WGnaka/o0o :2006/06/05(月) 00:20:19.30 ID:gol6ZuMU0

 緩やかな風が吹いていた。木々のざわめきを運んでは、遠い空の彼方へ消えてゆく。
 狭く暗い空間から一気に開けた視界の先には、燃えるようなオレンジの夕焼けが眩しかった。
 手の平を目の前に翳して陽光を遮り、次第に慣れてきた目は広がる景色を捉える。
 コンクリートブロックで敷き詰められた地面に薄緑色のフェンス。そしてその向こうには夕焼けと山々。
 目だけで周りを見渡しながらフェンス間際まで駆け寄ると、紅く染まる町並みをそこから見下ろした。
 俺が生まれ育ったあの小さな町は、どこか悲しそうに夕焼けの空を見上げているようにも思える。
 両手でフェンスの網目を勢い良く掴んだ。ガシャッという音と共に振動がフェンス全体伝い震えた。
 噂になっていた幽霊の子は、この頼りないフェンスをよじ登ってまで死にたかったのだろうか。
 一体何がそこまで追い詰めてしまったのかなんて、当事者ではない俺には判らないことだ。
 けれど、なぜだか心が鋭く痛む。同情から来る悲しみなのか、それとも同感から来る悔しさなのだろうか。
 フェンスに絡めていた指に力が入り、じわりと喰い込むような痛みが伝う。
 歯を食い縛ると同時に、放課後終了の合図となる短い予鈴が足元の校内から響き渡った。
 十分後に鳴る本鈴が校内に残っていられる最後のお告げ。それを過ぎれば有無を言わさず締め切られてしまう。
「帰る、か……」
 結局他の奴ら同様、何も起きないまま引き返すことに少しばかり安堵した。
 だがしかし、振り返ってから視界に飛び込んできたものに、一瞬の内にそんな安堵感もどこかに消し飛んだ。
 出入り口のドアの前に、女生徒が背を向ける格好で立っていた。ドアは硬く閉ざされたままに。
 鳥肌が体中を埋め尽くさんばかりに吹き出て、血の気が引くような感覚で腰が抜けそうだった。
「もう、終わった?」
 女生徒は振り返りながらそう声を発した。セミロング黒髪が円の軌道を残して揺れる。
「な、なな南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏悪霊退散悪霊退散臨兵闘者皆鎮列在前ポマードポマードポマード!」
 気が動転して思わず知り得る限りのそれっぽい言葉を口走っていた。
 どうか俺を呪わないでください。強い想いを込めながら必死に。
「あんた、頭でもおかしくなったの? それに最後だけなんか違うし」
「……へ?」
 良く聞けばどこかで聞いたことのある声だった。いや、聞き慣れたと言ったほうが正しいか。
 夕陽に映し出された女生徒の顔を見て確信。俺に噂のことを教えてくれた、あのオカルト大好きの美耶子だった。
「な、なんでこんな時間に……」
「んー、まあ、ここに行けって言ったの私だし、帰り遅いからもしかしたらって思っちゃって」


773 名前: ◆WGnaka/o0o :2006/06/05(月) 00:20:37.42 ID:gol6ZuMU0
「馬鹿言うなっての。所詮は信憑性の欠片も無いただの噂だろ。何かあってたまるかっつーの」
 俺がそう強く言いきると、美耶子は神妙な面持ちで腕を後ろに組んで胸を張る。大きめな胸が一層に強調された。
「でも、それってただの噂話ってわけでもないんじゃないかな?」
「……え、なにが?」
 もったいぶるように美耶子は俺の周りを半周して、夕焼けを背にする位置で足を止める。
 横顔のシルエットがくっきりと浮かび上がると、疑問符を頭に浮かべたままの俺の視界を塞いだ。
「だって私、四年前にこの屋上から飛び降りてるから」
 そう言いながら美耶子は首だけを動かして俺を見据えた。言葉の真意を理解できない俺はさらに混乱する。
「私……三年生ってこれで二回目なんだよね。これ、あんたと私だけの秘密」
 逆光の中で僅かに覗く照れたように微笑む美耶子の顔を、俺はたぶん一生忘れられないだろう。
 唐突に吹き付けた肌寒い秋風が視界を塞ぐ。砂埃が目に入らぬよう強く目蓋を閉じた。
 風が止んだのを感じて目をそっと開けると、今まで目の前に居たはずの美耶子の姿は無くなっていた。
 刹那の出来事に俺は何度も両目を手で擦り瞬かせたあと、やはり誰も居なくなったフェンスの向こうを見詰める。
 蒼褪めた俺の顔に比例するように綺麗な夕陽が、紅葉し始めた山々の中へ消えるまで立ち呆けているしかなかった。
 閉ざされていたはずの分厚いドアが、軋む音をたてながら揺らめいている。
 微かに残る美耶子の香りが、確かな現実味を与えてくれていた。


 次の日から俺は、放課後になると屋上へと向かうことが多くなった。
 人にはただの噂話だろうが、俺にとっては紛れも無い真実。嘘偽りの無い現実。
 持参した紙袋からパックのレモンティーを二つ取り出し、一つにはストローを挿して一口飲んでから地べたへと。
 もう一つはストローも挿さずに手の中で転がして遊ぶ。ホットだったそれはすっかりぬるくなってしまっていた。
「ごめーんっ、ホームルームが長引いちゃって遅れちゃった」
 そんな声が後ろからしてきた気がして、俺は振り向きもせず持っていたレモンティーを頭上で掲げて合図する。
 近付いてくる足音に合わせるように、幸せな時間が増えるような満ち足りたものを感じた。

 そして数日後、また新たな噂話が校内を駆け巡っていた。
 幽霊だと思っていた少女は、実は生きていた――そんなくだらない噂が。

  了



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