【 百万本のアンスリウム 】
◆twn/e0lews




538 名前:品評会『噂』百万本のアンスリウム ◆twn/e0lews :2006/06/03(土) 17:02:11.68 ID:9DOMaJjq0
「懐かしいな……」
 呟くように言ってから、煙草を咥え、火を点ける。天井を見上げ、口をすぼめて息を吐くと、勢いよく煙が昇る。
「そんなに笑って良いのかしら、アナタはヨシカワに恩があるでしょう?」
「僕が? ああ……そうか、煙草か」
 高校時代、僕が煙草を吸っているという噂が流れた。ウチの高校はやたらと厳しくて、退学も危ぶまれたけれど、ヨシカワが上手い具合に騙されてくれて、僕は助かった。
「あの時は本当に助けられたよ」
 職員の間でも有名になった噂だったのだ、弁護するよりも切り捨てた方が楽だったろうに、ヨシカワは教師一人一人を説得してくれた。
それを考えると、有難さと申し訳なさが同居した、妙な気分になる。
「ホント、ヨシカワが優しくて良かったわね」
 そう言って彼女はフラッペをかき混ぜる。生クリームを見ているだけで胸焼けしそうになる僕にとって、彼女の味覚は少し理解できない。
「でも未だに解らないんだ。何であんな噂が流れたんだろう。我ながら完璧にこなしてたつもりだったのに。君だって高校卒業までは知らなかったんだろう?」
 高校を卒業してから、身体を結んだ後で煙草を吸う僕を見て、初めて知った、と彼女が言ったのを覚えている。
「ナツコ」
 ぼそりと彼女が言って、僕は固まる。急にどうした? 焦らず、極力冷静に返す。確かに高校時代の話ではあるが、今の話題とは無関係なはずだ。
「煙草吸ってる人って、どんなに頑張ってもキスするとヤニ臭いのよ」
 彼女の刺すような視線が僕を捉え、思わず煙草のフィルターを軽く噛んでしまう。それでも、何とか落ち着きを保ちながら、僕は彼女に言葉を返す。
「ナツコが気が付いて、それで彼女がバラしたって事かい?」
 彼女は何も答えない。フラッペは既に空になっていて、ストローで遊んでいる。そのまま少しの静寂が流れ、僕がラテに口を付けた時、彼女は口を開いた。
「ナツコは何も言っていないわよ。彼女は元々男好きだし、全然気にしてなかったから」
「ちょっと待てよ。確かにナツコとはそう言う事になったけど、僕はそれ以外は――」
 言葉が途中で止まったのは、彼女がただ黙って僕を見ていたからだ。彼女は勝ち誇ったような笑顔を浮かべている。
全てを悟った僕は、ただ呆然とその笑顔を眺めるしかできない。


539 名前:品評会『噂』百万本のアンスリウム ◆twn/e0lews :2006/06/03(土) 17:02:35.11 ID:9DOMaJjq0
「今日は財布持って来てないのよ。良いよね?」
 彼女は笑顔で、声もはずんでいる。僕は脱力し、椅子に背をもたらせて、もう一度天井を仰ぎ息を吐く。煙草の煙は、今日の雲同様に、どんよりと重い。
「五年前の浮気の精算、これで終わりにしてあげるわよ。安いモンでしょう?」
 気が付くと彼女は僕の隣に立っていて、そう告げてから、僕に軽くデコピンをした。
僕は苦笑してから、わかったよ、と言って立ち上がる。彼女は僕の腕を取り、視線を赤い花へと向ける。
「アンスリウムの花言葉、知ってる?」
 僕は黙って首を振る。彼女は僕の様子を見てから、まあいいわ、と言った。
アンスリウムに視線だけを向けると、赤い花が一斉にこちらを振り向いたように見えて、背筋が少しゾッとした。
「どうしたの?」
 覗き込むようにして言う彼女と、一瞬瞳が重なって、僕は気を紛らわすように唇を奪う。
長いキスの後で、相変わらずヤニ臭いと彼女は言った。




                了



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