【 思春期のラクガキ 】
◆/7C0zzoEsE




66 :No.15 思春期のラクガキ 1/5◇/7C0zzoEsE:08/04/13 23:58:53 ID:jypmFR7F
 左肘を机につき、その手首の上に顎を乗せた。さながら観察するようにじろっと彼女を見つめる。
黒曜石のような暗く眩しい切れ長の瞳、色白な肌に控えめに映えた薄い桃色の唇。
余すところ無く見つめ、手元にある現代文のノートの余白に適当なデッサンを施す。
 大まかなパーツの位置関係から、もっと細かいほくろの場所まで徹底して書き込む。
飽くなき執念は悪趣味と罵られても致し方ない。
 しかし、このような行動を異常性癖とまとめられてしまうのには抵抗がある。
 彼女は美形だ。この中学校のアイドル。全学年の男子が涎を垂らす。
しかし僕に恋愛感情が芽生えているかというと、それは否だ。
 もっと芸術的な物のために彼女を写している……なんていうと鼻で笑ってしまうが。
要するに、彼女には僕の漫画の主人公であってほしいだけなのだ。
多くの男子から好かれているような人材でないと、このモデルにはあり得ない。
 姉に影響を受けて、小さな頃から少女漫画のラブストーリーに憧れ続けた。
別に僕が物語の主役になりたいだなんて願わない。
そうじゃない、そうじゃなくて。自分の書いた物語に誰か胸をときめかして欲しいのだ。
 彼女のような、扉絵からクライマックスまで出ずっぱりでも飽きない。
そんな魅力を持った主人公を紙面で躍らせたかったのだ。
 
 初めは可能な限り本人に近くなるよう模写する。
書き上げたら、その横にもっとデフォルメされた絵を書く。
 何度か繰り返して、極めて漫画的な彼女を生み出し。
横顔、笑顔、涙顔、いろんな角度から眺めた彼女を想像しながら書き込んだ。
「……よし」
 これで彼女の材料は完成した。ずっと前から書き溜めていた分もあるが、
これらの彼女使いまわして――ないし応用して。ようやく作品に取り掛かることもできるだろう。
 彼女の顔を穴があくほど見つめるだなんて習慣も、これで潮時となるだろう。
最大の敬意と若干の心残りを込めて、最後にもう一度彼女を見つめる。
 ノートから目を離し、チラッと彼女を覗き込むと。まったく不覚な事に彼女と視線がぶつかってしまった。

67 :No.15 思春期のラクガキ 2/5◇/7C0zzoEsE:08/04/13 23:59:05 ID:jypmFR7F
 彼女は僕の真意を探ろうと、眉をしかめて視線を逸らそうとしない。
僕は馬鹿みたく愛想笑いをしながら、視線をノートに落とした。鋭い視線をひしひしと感じながら。
 きっと僕の顔は酔っ払いのように赤らんでいることだろう。
そして、やっぱりまったく不覚な事に。一瞬、可愛いなと思ってしまった。
――授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。 

 僕はその場に居られなくて、授業の荷物も片付けずにトイレへ向かった。 
はぁっと深いため息をこぼして、目を覚ますように顔を両手で叩く。
「油断してた……気をつけなきゃ」
 彼女に好意を持つことだけは避けたかった。モデルとしては理想的な彼女だが、
自分の欲目から主人公が客観的に見れなくなるのは面白くない。
幾分か気分は落ち着かせた。休み時間が終わる前に戻って次の授業の準備をしなければ。
 トイレから出て、渡り廊下をゆっくりと歩いていく。教室のドアを開けて、何の警戒もせずに中に入る。
すると別世界の様な重たい雰囲気と、そうありながらも興味津々な級友達に好奇の視線を向けられた。
 ぴーぴーと口笛を鳴らしながらはやし立てる男子生徒。
「おい、修也。お前何だよ、この漫画は」
 面白くって仕方が無いといった様子で、僕の現代文のノートを摘み上げていた。
「これ、北川さんの絵だろ? 上手いなおまえ……ブフッ」
 髪の毛が茶色帯びた彼は、手で口を押さえて噴出しそうなのを必死で堪えている。
女子生徒達は遠巻きに、やあねえとクスクス笑い合っていた。
 しまった、油断した。というのが正直な感想だ。頭を掻きながら、
しかし人の絵を盗み見るのと、北川優花さんを盗み書くのとではどっちが悪趣味なんだろう。
どっちもどっちか。なんて皮肉交じりに苦笑いをしていた。
「さて、モデルの優花さん! 感想をどうぞ!」
 今度はクラス一おちゃらけた男子が、インタビュアーの様にして見えないマイクを彼女に突き出す。
彼は根はいい奴なんだが、面白そうな話になるとついつい悪ノリしてしまう。
「噂によると、授業中ずっと見つめられていたそうですが」
「いや、あの……知らないわよ」
 これにはさすがに血の気が引く思いをした。ばれていたのか、格好悪くて仕方が無い。

68 :No.15 思春期のラクガキ 3/5◇/7C0zzoEsE:08/04/13 23:59:17 ID:jypmFR7F
「さあ、ちょっと異質な告白ですが。北川さん、どう応えます?」
 腕を掴まれ、背中を押され。彼女の前に引っ張り出されてしまった。
 北川さんに限ってまさかあ。釣り合わないわよ。
そんな情けも容赦も無い声が飛び交いながら、彼女も答え辛そうにしている。
 いくらか俯いているかと思うと、ばっと顔をあげて、
「ごめんね、修也君」
 申し訳無さそうに謝られてしまった。彼女は胸の前で強く両手を握り締めている。
僕はそんなに残念そうな素振りも見せず――見せないようにして、
「いやいや、こっちこそごめんね」
 そういって情けなく頭をペコペコ下げた。
わんやわんやと教室が盛り上がる。これが望まれていたシチュエーションなのだろう。
「修也君元気出せよ。もう覗きみたいな真似するなよ」
「やだぁ、修也君ってもっと普通で大人しい人だと思ってたのに」
 人のこと取って捕まえて好き勝手言ってくれる。
彼女もずっと机に視線を落としているので、僕は皆をなだめ様としたが、
「何やってんだ! お前ら、もうチャイム鳴り終わってんぞ!」
 その前に教師に阻まれることで騒ぎは治まった。しかし、一日中話題はこの事件で持ちきりだった。
◆◆◆
 例の事件から、数週間が経った。
僕は彼女の意向など、初めから気にしていないから。めげずに少女漫画を描き始めた。
 主人公の優花が、顔も見たことの無い男子に惚れ続ける陳腐な話だ。
今にも叶いそうですれ違い続ける彼女の姿は実に上手く書ききれていたが、どこかリアリティに欠けていた。
 それでも現代文のノート……いや、もう既にそのノートは漫画で埋め尽くされている。
彼女の材料が揃っていたので助かった。彼女を覗き見て、迷惑をかける心配も無い。
 ちなみに、この漫画ノートを引き出しに置いておくと、
ちょっと目を離しているうちに、誰かが引っ張り出して読むようになってしまった。
 読み終えた後は、僕の机の上に放り出している。
「早く続き書け」だなんて、コメントが追加されていたのには笑うしか無かった。
 級友達の間では、この漫画の顔も分からない謎の男子は僕だろうという憶測が広まっていた。

69 :No.15 思春期のラクガキ 4/5◇/7C0zzoEsE:08/04/13 23:59:28 ID:jypmFR7F
 漫画の中でだけでも、優花さんと付き合おうと自慰のように書き殴っているように思われた。
 また飽きずに皆は彼女に詰め寄ったが、
「別に好きにしてたらいいわよ」と言ってくれていたらしい。
 それから、この物語も佳境に差し掛かることになった。
彼女が愛しの彼にめぐり合うシーン。まさか、本当に僕をモデルに書くわけにはいかない。
 悩みに悩んだ末に、サッカー部の主将で容姿端麗な人気者を主役にすることにした。
彼なら級友達も納得するだろうし、彼女への微かな罪滅ぼしになるだろうか。
 何でか胸がチクリと痛むのだが。白馬の王子の登場で、僕の物語もようやく終わりが見えてきた。
次の話は、もっと楽しく書ける話にしようと自嘲気味に笑いながら。放課後引き出しの中に入れておいた。

――次の日そのノートは真っ二つに破かれていた。

 机の上に放り出されたそれ。朝、登校すると教室の皆が机を囲んで思い思いに呟いていた。
「これは酷いだろ……別にここまでしなくても」
「あーあ、私結構楽しみにしてたのにな」
 僕が机のそばに歩み寄ると、皆避けるように散った。
僕は皆に笑われたときよりも、彼女に俯かれたときよりもずっと胸を刺され。
漫画の中の彼女が、僕の書いた僕だけの彼女が見るも無残に引きちぎられている。
ラストシーンで二枚目の彼と幸せそうに微笑む彼女を真っ二つに。
「修也……大丈夫か?」
「だれだよ」
 え? と誰かが返した。僕は眼いっぱいに大粒の涙を溜めて、体を震わせながら。
喉も裂けよとばかりに叫んだ。教室が震えるほど、学校中に響き渡るほど。
「だれが! こんなこと! したんだよっ!!」
 皆は初めて僕の怒声を聞いて、呆気にとられるというか怯えるというか。奇妙な様子で、僕を取り巻く。
僕はキッと教室中を睨み付けて、ダッとその場から駆け出した。
「お、おい。修也、もう授業始めるぞ?」
 僕を呼び止める担任の声も聞かず、何かへ駆られるように走り出す。
どうして、こんなに胸が痛いのか分からなかった。

70 :No.15 思春期のラクガキ 5/5◇/7C0zzoEsE:08/04/13 23:59:59 ID:jypmFR7F

 自分の作品が壊されたのが腹立たしいのか、自分の書いた彼女が壊されたのが悔しいのか。
分からない、よく分からない。分からないけど、とにかく振り払うように走った。
 校門まで来たところで、「待って!」と誰かに呼び止められた。
 途切れ途切れに息切れしながら振り向くと、そこには北川優花さんがいた。
彼女もまた必死に走ったのだろう。膝に手を置き、全身で呼吸をしている。
 ばっと顔をあげ、髪をかきあげた。ああ、やっぱり美しいと思う自分がいる。
「ごめんね、優花さん。迷惑かけたね、もう漫画なんか書いたりしないから」
 僕は下唇を噛みしめながら、それを気付かれないようにニッコリ微笑んだ。
「だけど、今日はちょっと疲れたから帰りたい――」
「あのノート破ったの、私だから」
 僕の言葉を遮るように彼女が言い放った。僕が意味を理解できないでいると、彼女が続ける。
「気にいらなかったし、破ったから」
「何で……何でそんなことするんだよ!」
 僕が堪えきれずに声を張り上げた。やっぱり、目頭から涙が一粒零れて格好悪いったらありゃしない。
「嫌だったら、言ってくれれば。もう書いたりしなかったのに」
「私だって、少女漫画とか好きだし。あの話のファンだったんだよ?」
 よく見ると何故か彼女の目頭にも涙が溜まっているようだった。だから僕はうろたえてしまう。
「別に主人公のモデルになっても構わないっ。……可愛く書いてくれてたから嬉しかった。けど」
「けど?」
 また俯いてしまった。僕が顔を覗き込む。彼女は非難するように僕を睨みつけた。
「だけど好きでもない人と恋愛させられるのは。それは、漫画だろうと何だろうと嫌なんだから!」
 スカートを翻し、彼女は僕に背を向けて去る。
 僕は彼女を呼び止めたかったが、なんて声をかけるべきか思いつかなかった。
結局、彼女の言わんとしていること。何が気に入らなかったかもぴんと来なかった。
 女の子の気持ちが分からないっていうのは致命的だ。
「……だからリアリティが生まれないんだろうなあ」
 だけど、僕は彼女に謝ろうと思う。何を謝っていいのかも分からないけど。
いや、それを考えながら、教室に向かってトボトボ歩く。
                           <了>



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