【 僭称者 】
◆IaQKphUgas




2 :No.01 僭称者 1/5 ◇IaQKphUgas:08/03/30 02:55:14 ID:1vAoLy86
 本人曰く夜の住人だと豪語しているらしい。完全に昼夜逆転の生活であり、朝寝て、夜起きるという。
そんな風になり、早五年だそうだ。襁褓の頃から彼と交流ある人間が、偶然にも私の友人であり、今回
奇しくも、私が彼と連れ添って歩くという大役を仰せつかった。五年もの"隠匿"生活(本人がそう言って
いるらしい)を破り、今日斜陽なりにも外へ出るという。「どういう心境の変化か知らないが」私の友人が
言っていた。「いいことだ、外へ出るのはさ。俺が連れ歩きたいが、仕事でね。お前日曜だし暇だろう。
行ってくれないか」
 日が落ち始め、春先の中庸な空が、橙色に染まる時刻である。陽も風も心地よく、日曜を顕現している。
彼は七分遅れて指定の場所へやってきた。友人の談によると彼は「お洒落をして」来るはずだったのだが、
なるほどこれも、見方によっては軽妙だし洒脱とも言えるのだろう。股上のチノパンに、チェックのTシャツ
をタックインしている。くすんだ灰色のキャスケット帽を被り、小脇にはまた灰色の上着をかかえていた。
まるっきりセンスが八十年代だ。
 彼は着くなり、「やぁ、あなたが」と、上擦った声で挨拶すると、帽子を取り、うやうやしく一礼した。あまりに
もと言えばあまりにもな、その芝居じみた、滑稽な仕草は、途端に私を恥ずかしくさせた。もっといけなかった
のが、どうにも彼が、そのような紳士然とした行為を行う容姿ではなかったという点である。誤解を恐れずに
言えば、まるでホームレスの顔付きであったから……

3 :No.01 僭称者 2/5 ◇IaQKphUgas:08/03/30 02:55:34 ID:1vAoLy86
 お互いに自己紹介を済ませ、我々は共に歩き始めた。結果から言うと、人が少ない通りで、非常に助かった。
というのも彼は、まるで壊れたオルゴールのように、脈絡のないことをのべつ幕なし話すし、そのしゃべり方と
いったら、まるで正常ではないのだ。声の調子は一定ではなく、やたら早口で、おまけに目は所在なさげにぐる
ぐると四方を見渡し、車が通ればビクつくしで、脱獄囚の如く落ち着きがなかった。挙げ句の果てに、通行人が
向こうからやってくると、すれ違い様に声高となり、たとえば「僕は将棋が強くてね、隠匿生活の際も、インター
ネットで、日本一のやつを打ち負かしまして」といったことを、これ見よがしに切り出すのだ。
 私は最初こそ相づちを打っていたが、次第に、これは独り言のようなものだ、とわかったので、やめた。しかし
話がどうにもつまらなかったので、私は一つ質問をしてみることにした。
「なぜ夜の住人か、ふむ。意義のある質問ですね」彼はそう言うと、大げさに頷いてみせた。
「それはですね、僕は朝が嫌いでね、特に月曜の朝がそうなんですよ……人類が活動を始める、あの朝が。
僕は善きことを恐れるのです。普遍的なものを、僕は嫌悪している。だからこそ隠遁に身を沈めたのです」
 胸の辺りをしきりに叩きながら、彼はそう宣言した。その後も、何やら恍惚の体で私に"思想"を話してくれたが、
要約すると、「人類はその活動故に活動が目的と化し、自己喪失している。なので僕は活動が始まる朝に、特に
月曜の朝を恐れ、これに抗議するものである」
 我々は、目的地もなく歩いていた。そういえばどこに行くつもりなのか、聞いていなかった。尋ねると「そうですね、

4 :No.01 僭称者 3/5 ◇IaQKphUgas:08/03/30 02:55:58 ID:1vAoLy86
折角外まで来たんだ、外で一日過ごしてみたいです」こう返ってきた。
 私は、近くに宿を見つけたので、そこへ連れ立って入った。彼はしきりに「これが普遍的なものなんですね!」
と繰り返し、感激の様子であった。夕食の際も、入浴の際も、床に入るときでさえ。
 そう、我々は床へ入ったのだ。曜日を失念していたわけではなかった。現に私は、明日は月曜だがいいのか、
と問うたが、「そういえば"週末"でしたね、どうしようか……ねぇあなた。週末と週始とは、不思議だと思いませ
んか。連続的に、たとえば寝て起きた、ということだけで繋がっている。境目がまるでないんだ。しかもそのくせ、
週始には決まって活動が待っている……まるで母胎内の赤子になった気分で……朝には、朝にはどうか起こさ
ないでください、僕はやっぱり、いや切っ掛けさえ……えぇい、えぇい!」と憎々しげに結び、彼は布団を被ってし
まった。なので、私も、寝た。
 翌日、先に目覚めたのは私だった。寝起きの頭に、宿泊費と朝食のことが浮かんだので、私は彼を"朝に起こ
してしまった"。月曜の朝がどうとかいう話は、そのときすっかり忘れていたのだ。
 彼は大層満足そうに眠っており、起きる気配がなかった。頑固に揺すり続けると、伸びと欠伸をしながら、起き
上がり、「やぁ、おはよう、いい朝で……」と口を開いた。だがそこまでだった。
 凄まじい勢いで跳ね上がると、彼は窓際へ近づいた。そして太陽の眩しさに手をかざし、雀たちの歌声に耳を
澄ませると、彼は突然、つんざくような声で泣き叫び始めてしまった!

5 :No.01 僭称者 4/5 ◇IaQKphUgas:08/03/30 02:56:18 ID:1vAoLy86
「あぁ……朝日……とんでもないもの、なんてことだ、朝!」
 膝をつき、子供のように喚いては、床をどんどんと叩いている。あまりの騒音に、隣の客が飛んできた。仕舞い
には騒ぎを聞きつけた経営者と、多数の、野次馬根性に憑かれた者が押し寄せてしまったのだ。
 私は昨日を思い出して、彼らに「これは思想なんです」と話して聞かせたが、途端に彼は台無しにしてしまった。
「朝だ、お日様だ、窓下では、皆が仕事や学校や遊びに出かける、僕は、僕は家で独りだ、あぁ、お日様だ、高く
ななめから射す光だ! 駄目だ、僕は恥辱にまみれている、僕なんかが浴びたら、お日様が汚れる、駄目だ、
朝だ、僕は朝が耐えられない、太陽が耐えられない、僕は……どうしよう……」
「おまえさん、人が、社会が怖いんだな! 自信がないんだな、それだけだろ!」誰かが野次を飛ばした。
「おぉ、そうなのです、僕は、僕は怖いんだ、申し訳ないんだ、普通の人はいっしょうけんめい何かをやっている
のに、思想があるのに、僕は、僕は、あぁ、だから太陽は見たくない! お日様なんて! 朝なんて!」
 それだけ言うと、意味を成さない奇声をあげ、彼は身を丸めて、部屋の隅でぶるぶると震え始めた。五年ぶり
の外が、朝日が暖か過ぎたのだろう。私は彼が気の毒でならなかったが、他の者を見渡すと、全員がどうやら、
彼がどういった人間であるのか、勝手に決めてかかったようだ。皆が意地の悪い笑みを浮かべ、隣同士囁き
合っている。
 私は、昨夜のことを思い出していた。彼は日曜を週末と言ったが、なるほどある種の人間にとっては、日曜

6 :No.01 僭称者 5/5 ◇IaQKphUgas:08/03/30 02:56:41 ID:1vAoLy86
こそが週末だ。しかしその場合、酷く残酷なことになる。週始が月曜となってしまうのだ。彼の弁を借りれば、
まるで母胎内の赤子のように、産まれ出るときは、突然に慣れない声をあげる羽目となる。
 目の前にいる"夜の住人"も、世俗的な嘲笑を一身に受けながら、朝に産声をあげ続けていた。



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