【 誕生日 】
◆QKosjbgW/g




17 :No.4 誕生日 1/4◇QKosjbgW/g:08/03/09 14:46:34 ID:ZKn+Su6d
 その部屋には一つの大きなテーブルと13の椅子があった。テーブルにはケーキに
ローストチキンと豪華な食事が並び、煌びやかな銀食器でその周りが飾り付けられて
いる。そしてその上座に男が一人、手を顔の前で組みながら座っていた。
「遅い、遅すぎる……」
 男は何かを待っているのか、しきりに自分の後ろに掛けてある壁時計を気にしてい
る。時計は長針と短針が丁度九十度になっており、短針が九の字を指していた。
「料理が冷めてしまうじゃないか……」
 狐色に焼けたローストチキンを男は触った。それが既に冷たくなっていることに気
づいたのか、深くため息をつく。そのローストチキンは男が焼いたものだった。下ご
しらえを昨日の晩からして作った力作だけに、男のショックは大きかったようだ。他
の料理もきっと冷めているに違いない。そう思うと、男の肩は自然と鉛のように重た
くなる。
 そんな時、部屋中に電信音が鳴り響いた。
 男は慌てて携帯を取り出しと、通話ボタンを押して耳に近づけた。きっと用事で遅
くなっいたに違いない。遅れたることに対する謝罪の電話なのだ。男は安堵しながら
そう思った。
「もしもし? 遅いぞ! 今どこに……」
『あー、悪いんですけど。今日の先輩の誕生日、行けそうにないんですわ』
 期待とは裏腹の断りの電話。男の声のトーンが一気に落ちる。
「どうしてだ……?」
『家族サービスですよ、家族サービス。だって今日は特別な日じゃないですか? 国
民的な祝日?』
「いやでもそれは、昼の間に十分サービスしたとか、そういうことじゃないのか?」
『今どこいると思います?』
「え!? ……ディズニーランドとかか?」
『ハハハ、なんですかそれ? 今ワイハーにいるんですよワイハー。いや、こっちは
いいですわ。なんせ冬なのに泳げるんですからね』
「は、ハワイ? それは、よかったな……」

18 :No.4 誕生日 2/4◇QKosjbgW/g:08/03/09 14:47:04 ID:ZKn+Su6d
『んじゃそういうことで。おめでとうございます、先輩――』
 男は携帯をテーブルの上に置くと、また椅子に腰を落とした。
「お前先々週に家族サービスで有給とったばっかじゃねえか……」
 それからしばらくして、また電話が鳴った。
 こんどこそ。
「今頃遅いぞ、もう待ちくたびれ――」
『あ、先生ですか? 申し訳ないですが自分、そちらに行けそうにないです』
「お前もか!」
『え? ……すみません、ちょっとこっちがうるさいのでよく聞こえません』
 男の電話からは、相手の他にも数人の子供の声が入り混じって聞こえていた。それ
から女性の声で「お兄さんは電話中だから静かにしましょうね」と続けて男の耳に入
る。
「お前、どこにいるんだ?」
『……どこ、ですか? えっと、今孤児院います』
「孤児院?」
『ええ。付き合ってる彼女がそこで働いてるんです。あ、ごめんね、今電話中だから
お姉ちゃんと遊ぼうねー。……それで、急に手伝うことになりまして。なんせ今日は
子供達にとって特別な日ですから』
「そうか、大変だな……」
『大変じゃないです。子供も可愛いですし遣り甲斐もありますよ。そうだ! よけれ
ばこれから――』
「いや、遠慮しておくよ。お前以外の奴らはもう来てるから。……大丈夫だ」
『そうですか? では、僕の分も楽しんでください! プレゼントは後でもっていき
ますね』
「頑張れよ」
 男はしばらく考えた。私がたかが誕生日ごときで悶々と悩んでいるときに自分の教
え子が立派なボランティア活動をしている。本当は彼女の気を引くために行っている
のかもしれないが、そうだとしてもやっていることは十分立派だ。それなのに私とき
たら……。

19 :No.4 誕生日 3/4◇QKosjbgW/g:08/03/09 14:48:02 ID:ZKn+Su6d
 男は部屋を眺めた。冷めてしまった料理、買ったばかりの揃いの食器、11人の友
人が座るはずだった椅子。独り身の自分。全てが馬鹿らしい。自分がひどく矮小な生
き物に思える。
 そうして男は深く落ち込んだ末に、記憶の狭間に追いやった人物を思い起こしてし
まう。
 時刻は既に一日を終えようとしていた。
 まだ、まだ間に合うかもしれない。電話帳から消すことのできなかった番号。目を
瞑りながら、男は通話ボタンを押した。
 番号は男の元同僚のものだった。同期の人間を遥かに追い越し、大企業に引き抜か
れていったライバルであり、元恋人。一つ空けていた椅子は、彼女のものだった。
 男の携帯が相手と繋がった。男は息を呑む。
「やあ」
『……どうしたの? 珍しいこともあるのね』
「たまには君の声が聞きたくなってね」
『あなたを利用してのし上がった憎たらしい悪女の声を?』
 相変わらずだ、と男は思った。
「今日は何の日か覚えているかい?」
『そんなの外を歩けば誰にだってわかるわ。髭を生やしたお爺さんが、トナカイに乗
って世界中の子供たちにプレゼントを配る、そんな素敵な日。……もう、そのお爺さ
んが働いている頃かしら?』
「それ以外でだ」
『……世間に流されがちの男女が、なんとなく一緒になって、成り行きでホテルに泊
まってしまう日』
「他には?」
『欧米では家族で一緒に過ごすことが一般的らしいわ。最近アンケートでも日本の6
割の家庭がそうらしいわね』
「わかった! 言う、言うよ!」
 似たもの同士。男の脳裏にその言葉がスポットライトを浴びたように浮かび上がっ
てくる。

20 :No.4 誕生日 4/4◇QKosjbgW/g:08/03/09 14:48:41 ID:ZKn+Su6d
「……クリスマスは、今日は、私の誕生日だ」
『あら、偶然ね。イエス・キリストと一緒の誕生日だわ』
「……」
 男はしばらく沈黙した。それは大事を成し遂げる為の、長いようで短い準備であっ
た。
「もし、まだ君が仕事の虫で今日予定がないのであれば、ぜひ私の家で誕生日を祝っ
てほしい」
『……使徒のご友人は?』
「あいつらはあいつらで一緒に過ごしたい人間が他にいる。独り者の俺と違ってな」
『裏切り者のユダにまですがるなんて……あなたも堕ちたものね……』
「来てくれるのか?」
『世間に流されるのは嫌いよ』
「……そうか」
『でも、誕生日は世間に流されるのとは違うわ。個人の日ですもの』
「じゃあ……!」
『クリスマスだからじゃない。あなたの一人ぼっちの誕生日が哀れで、それに同情し
たから行くのよ。……住所は変わってない?』
「ちょっと変わったな。ボロアパートから見晴らしのいいマンションになった」
 電話の向こうから笑い声が聞こえてきた。男は何が可笑しかったのかはわからなか
ったが、不思議と頬が緩んでいくのを感じた。そしてそれは不快なものではなく、む
しろ心地よいもので……。
 住所を教え、電話を切ると、男は改めてテーブルの上を見直しふと思った。
 ローストチキンはもう一度焼いても大丈夫だろうかと。



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