【 思考、心情、死学 】
◆pxtUOeh2oI




2 :No.01 思考、心情、死学 1/5 ◇pxtUOeh2oI:08/03/08 15:55:48 ID:bAZdLFpy
1 名前:◆iPpaI.o/Bn[] 投稿日:2009/06/11(日) 23:59:34.48 ID:IWoO+siRO
私は自身の欲求に従い、犯罪を行いました。
ターゲットは松井治、二十三歳、LSシステムに勤める会社員です。
この男は未成年だった頃、婦女暴行を繰り返したあげく、少年法によって守られました
場所はY県S市、久井ノ目児童公園近くの道です。
私は松井を薬で眠らせ、鉈で両腕を落とし下腹部の男性器を切断、アイスピックで左目をくり抜きました。
止血はしてあるので死なないとは思いますが、早めに通報をお願いします。
以下は画像URLです。凶器である鉈、アイスピック、松井の現在の姿等が載っています。
http://xxxx/yyyy.zzz
松井の友人であり、同じく罪を犯したはずなのに裁かれることのなかった森秀則、次は貴方の番です。

 このメッセージは2chのVIPという場所"私は今日、罪を犯しました"というスレッドに日曜深夜突如、書かれたものである。
そしてこの書き込みは、S市の刑事課に配属されたばかりの若手刑事幸村元浩が担当する一連の事件、その全ての始まりでもあった。
 画像を確認しこの話が冗談ではないことに気付いた2ch利用者からの通報が、刑事課に届いたものが第一報である。
そのとき刑事の心得について話していたベテラン刑事である藤原と若手の幸村は、上着を手に取りすぐに現場へと向かった。
 事件現場は酷いものだった。幸村が現場から少し離れた陰で吐いてしまったほどである。
千切れた腕の切断面は二度と繋げることのできないようグチャグチャにされ、道端に落ちたアイスピックには目が突き刺さる。
いくら追い払ってもやってくるカラスが見守る夜道で、被害者の松井治は声にならない声を上げずっともがき苦しんでいた。

 事件から十日後、容疑者が一人浮かんで来た。名前は漆原義弘、二十八歳、現在無職。被害者である松井に暴行され
自殺した浅野亜美という女性の婚約者だった男である。何年か前まで、いつか復讐してやると恨み事を繰り返していたらしい。
 幸村と藤原は、約束を取りつけ漆原の家へと向かった。家の中へ案内された幸村達は漆原と向かいあって座る。
「事件のことはご存じですね?」
 ゆったりとした口調で藤原が漆原に言った。幸村は藤原に教わった心得通りに、漆原の顔を観察する。
「はい……刑事さん達から連絡を貰って、その後で週刊誌やネット上の情報を調べました……」
 それが問題だった。普段ならば犯人しか知りえない情報を引き出し逮捕の糸口とする。だが今回、現場の情報は2chに載せられた
書き込みに詳しく、事細かに書かれていた。凶器も犯行方法も日本中の人が詳しく知っているのである。

3 :No.01 思考、心情、死学 2/5 ◇pxtUOeh2oI:08/03/08 15:56:12 ID:bAZdLFpy
690 名前: 思考、心情、死学 2/5 ◆pxtUOeh2oI 投稿日: 2008/03/08(土) 00:30:40.58 ID:FXk9/BnE0
「刑事さんの前で言うことではないですが……喜んでいます。奴の病院にお祝いの品でも送りたい気分ですよ。
刑事さん達に協力はしますが、本音を言うと犯人には捕まって欲しくない。できれば応援したいぐらいです」
 漆原は目をしっかりとこちらに向けていた。暗く沈んだ目、それでもどこか力が感じられた。
「事件の晩、貴方はどちらに居られましたか?」
 藤原が質問する。漆原の顔が少し笑ったように見えた。
「ここに居ました。テレビを見たり、パソコンでネットを見たりしていました。証明する人はいませんね」
 答えをあらかじめ用意していたのだろう、スラスラと答えていた。
「ただ事件のあった時間は2chに書き込みをしていたので、調べてもらえばわかるかもしれません」
 また2chかとでも言いたげに藤原は顔をしかめる。幸村は藤原の機械オンチを良く知っていた。そのことは普段の様子からも良くわかる。
後日、調べたところ指定されたその書き込みの発信先は、確かにこの家だった。藤原がモニターを眺めつつ呟いた。
「このえーと、レスですか? 貴方の書いた部分は前の話しとつながって無いようですが?」
「2chというのはそういった感じの場所なんです。流れを気にせず話し始めたりします」
 そういうものなのか? と幸村は藤原に聞かれた。幸村は、そういったものなんですと藤原に答えた。
イマイチ理解ができず悩む藤原を横に、幸村は取り合えず話しを進めた。
「それはここに居なくても書くことができるのでは? あまり詳しくは無いですが、例えばそう、プログラムを書くとか」
 顔が歪む藤原。俺が追い詰めたいのは貴方ではないと幸村は思った。
「そうですね、可能かどうかと言えばできるでしょう。ですが、私には知識がありませんので不可能です」
 漆原はこれが言いたかったのだろう、彼の経歴にそういった知識が入るような部分は無い。勉強すればさほど難しくないだろうが、
一度、頭に入れてしまえば本や紙に証拠が残らない。そもそも、ネット上で学んだ可能性すらある。
漆原にそのような能力があるかどうかを判断することは不可能に近い。
「パソコンをお預かりしても良いですか?」
 幸村は漆原に訪ねた。パソコンの中を調べれば、何か残された痕跡があるかもしれない。
「結構ですが、このパソコンは事件後に買った奴です。前のは五日前、突然壊れてしまったので捨てました」
「どちらへ? 一応、探してみます」
「市の指定通りに捨てたので、調べてみてください。ただ、ハードディスクは別に砕いたので特に情報は取れないと思いますが」
「普段からそのように、情報漏洩に対する対処をされているのですか?」
「最近、気にするようになりました。前にどこかの県警で廃棄パソコンから情報が漏れた話などを聞きましてね」
 Y県警だった。耳が痛い。直接関わりがあるわけではないが、上がミスすると下も困るものである。
 結局、完全に準備ができていたのだろう。疑うことはできるが、実証が無い。その日、幸村と藤原は、念の為と漆原のパソコンを
持ち帰ったのみで、収穫と言えるものはまったく得られなかった。

4 :No.01 思考、心情、死学 3/5 ◇pxtUOeh2oI:08/03/08 15:56:39 ID:bAZdLFpy
 
 それから二十三日後、夏の日差しが強くなり始めたころ、刑事課は漆原に任意同行を求めた。
事件の一週間前、現場から三十キロほど離れた寂れた金物店で、漆原に良く似た男が鉈とアイスピックを買っていたという
目撃証言が得られたからである。事件当日のアリバイが強固とは言えないことも作用した。
 取調室の中では、藤原が漆原と話し、幸村は記録を取っていた。それから三時間後、漆原が自供し犯行を認めた。何の問題も無く
スムーズに続く取り調べ、幸村と藤原さも安堵しゆっくりと漆原の話しを聞いた。被害者に暴行された婚約者の復讐だと、許すことは
できなかったと、涙を流し語る漆原を見て幸村は複雑な気持ちになる。それでも事件はこれで終わったと刑事課の誰もが思った。

 事件から二ヶ月たった八月十一日、Y県地方裁判所ではこの事件の裁判が行われていた。
この事件は犯行の猟奇性、ネット上に載せられた犯行声明、そしてもう一つ、今年から始まった裁判員制度、
その初めての重大事件であるとしてマスコミ各紙を賑わせていた。
 少し遅れた昼食として、出前のそばを食べていた幸村と藤原、その目に映ったテレビからはとんでも無いことが報じられた。
『漆原容疑者が犯行を否認。自供は警察の誘導により行ったものだと主張』
 幸村は目と耳を疑った。隣の藤原もそばを吹き出す。
さらにテレビの中でキャスターは続けた。度重なる警察の監視、さらに取り調べで暴行を受け力尽き自供した。本当はやっていない、無実である。
漆原が裁判中にそう言い放ったと。
 そんな事実は無い。あの取り調べは静かそのものであり、何の問題も無かった。それは刑事課の誰もが知っている。
だが一般人の反応は違った。取調室でどうのようなことが行われているかなど、普通の人にはわからない。
 その後の世論は全て漆原の計算通りだったように思える。不祥事続きだった警察が叩かれ、悲しいバックグラウンドのある
漆原は、まるで悲劇の主人公のように扱われた。被害者に同情すべきところが見当たらないことも大きい。
 今までの裁判で大きな証拠とされていた自白調書も、一般人から選ばれた裁判員には大した効力を持たない。
普段ならばそれなりの力となる積み重なった状況証拠は、警察の強引な捜査方法の結果としてゴミ同然の扱いとされた。
 もちろん裁判員には、マスコミなどから判断の根拠を集めてはいけないというルールは存在する。それでも、人として
日常生活を送る中で、湧き上がる世論を完全に遮断することはできず、彼らは世論に流されて行った。

 それから五日後、裁判員制度として想定より長めの裁判だったであろうこの事件に判決が下された。
三名の裁判官のうち一人が警察の極端な操作があったとし無罪を主張、さらに五名の裁判員が無罪を主張し、
裁判官一人、裁判員五人の多数決を持って漆原は無罪とされた。有罪を主張した者は裁判官二人と裁判員一人。
これは一般から無作為に選ばれた裁判員と法を専門とする裁判官、その感覚の違いが表れた結果と言えるだろう。
 この判決は"疑わしきは罰せず"の理念から考えると正しいものなのかもしれない。

5 :No.01 思考、心情、死学 4/5 ◇pxtUOeh2oI:08/03/08 15:57:06 ID:bAZdLFpy
それでも現実としては間違いであったことが、後に明らかになるのであった。
 検察の控訴憂慮期間に入り、漆原は一旦釈放された、もちろん監視付きなのはいうまでもない。
 このとき検察は控訴する方向で基本的にまとまっていた。控訴し裁判員のいない高等裁判所での裁判を行えば、
勝ち目はあるということである。
 そんな検察官達の考えを想定していたのか、犯人は新たな行動を起こした。

427 名前:◆iPpaI.o/Bn[] 投稿日:2009/08/16(月) 21:39:57.46 ID:A.opPAoO
私はこの事件の犯人です。一審ではみなさまの声援を受け無事無罪が確定しました。
つきましては、もう一人の暴行犯である森秀則の元へ、復讐に行きたいと思います。
貴方の居場所はわかっています。相鍵もあります。夜、ひとりで眠るときは気を付けてください。
朝起きたときには両脚と耳が無くなっているかもしれません。
貴方を殺すつもりはありません。松井治のように、死よりもつらい苦痛を味わって欲しいと思います。
私がこの事件の犯人であることは、名前欄を見てもらえばわかると思いますが、
もう一つ証拠として、新しい画像を置いておきます。
これはあの事件現場を別角度から撮影したものです。
http://yyy/xxx.zzz

これが犯人からの第二メッセージであった。これを書いた者が漆原かどうかはこのときにはわからない。
それでもこの書き込みを行った者が犯人であることは確かであり、事件が続く可能性があることは誰の目にも明らかだった。
家宅捜索でも見つからなかった画像が、何故あるのか? と藤原は憤っていたが、現在の捜査方法では、ファイル化された画像を
完全に見つけることは不可能であるように幸村には思えた。ネット上のどこかにファイルを偽装、もしくはパスワードをかけ放流。
小さなSDに保存し、どこかの公衆便所に隠すことだってできる。そんな簡単な方法がいくらでも思いつく。
 2chに犯人からのメッセージが書き込まれた翌日の朝、森秀則は行方をくらましていた。恐怖で逃げだしたのだろう。
各地で警察が森秀則を探す中で、森を見つけたのは幸村と藤原だったが、問題がひとつある。幸村達の仕事は森を探すことではなく、
漆原がどこかへ逃亡しないように遠巻きに監視すること、つまりは森秀則を一番に見つけた者は漆原だということである。
 幸村と藤原は漆原の元へ走った。漆原のその手には包丁らしき光る刃物が握られているのが見える。
漆原が森に近づき何かを言った。そして手にした包丁を森へと手渡す。
 森秀則が漆原の胸をさした。
 訳がわからない、と幸村は思った。それでも幸村と藤原は刃物を持つ森を抑えつける。その横では漆原が血を流して倒れていた。

6 :No.01 思考、心情、死学 5/5 ◇pxtUOeh2oI:08/03/08 15:57:40 ID:bAZdLFpy
 
 漆原が胸を刺され死んだ日から一ヶ月後、Y県地方裁判所では森秀則の漆原義弘傷害致死容疑での裁判が行われており、
たまたま休みだった幸村は傍聴席で裁判を眺めていた。

 この裁判の問題点は正当防衛か否かである。森秀則はあのとき漆原に言われたという。
『この包丁で私を殺しなさい。もし私に命が続くのならば、何年刑務所に入ろうといつか必ずお前を松井治と同じ目に合わせる』
と。そして森は選択した漆原を殺すことを。彼は友人である松井を見て思ったという。この先、どんな明るい未来も来ることのない
絶望的で救いのない友人の体、あんな姿になりたくない。彼はそう考えて漆原を刺したと取り調べで言っていた。
 こういったことが真実であるだろうということは漆原の残した遺書からわかった。
 そう漆原は遺書を残していた。二度目の書き込み元を探し辿り着いた民家、その家では無線LANの鍵が設定されておらず、
近くいれば誰でも使える状態になっていた。そこで発見された携帯ゲーム機と無線スイッチ、その中のプログラムは
スイッチが入ると数時間後自動的に2chへの書き込まれるよう書き換えられていた。その中に直筆の遺書がある場所が記されていたのである。
 その遺書には事件の全てが書いてあった。松井治を襲った事件について、2chのトリップ、画像の隠し場所、森秀則を見つけた方法。
それは、一度、森と接触しペット用のマイクロチップを埋め込むという方法だった。森秀則からも一度、道で気を失ったことがある
という証言が得られ、さらに微小な電波が観測されたことからその方法は実行されたと確証付けられた。
 さらに遺書には、動機が書かれていた。松井治への恨み、森秀則への恨み、そして事実上その二人を守った法律に対する恨み。
漆原は松井の両腕を落とし左目をえぐった。誰かの助けがなければ生きられないその体、けれどもその姿を見て彼を助けようと思う
者はいないだろう。森秀則には殺人者としての人生が待っている。彼らは有名である。有名であり続ける
事件がセンセーショナルだということであるとともに、この事件は日本で初めての裁判員制度を利用した事件なのである。
これから先、何度でも彼らの名前は世に出るだろう、そんな世の中を生きていかなければならない。
 彼の遺書は公開された。警察が公開したわけでは無く、2chに三度目の書き込みがなされたのだ。
二度目と同様の機材を使い今回は時限式の仕掛けだった。死後、自動で書き込まれるようになっていたその遺書によって少年法、
そして裁判員制度のあり方について議論されるようになった。ここまでが漆原の考えた復讐なのだろう。
 裁判は結審へと向かっていた。この事件の裁判員は全て過去の事件についても知っている。
そしてそんな裁判員達が、森秀則にどのような判決を下すのかそれは誰にもわからない。
 この事件は二〇〇九年六月、世に生まれてきた裁判員制度、その悲しい産声だったかもしれない。
だがこれで終わりではない。生まれたての制度が将来どのようなものになるか、
それは全てこれからの育て方にかかっているのだから……
<了>



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