【 500円玉の表側 】
◆D3eT0HoDzA




93 :No.18 500円玉の表側 (お題:500円玉) 1/5 ◇D3eT0HoDzA:08/03/02 22:35:40 ID:sDUpDDm2
『本質はいつも見えないところにある』
 それは凛子ねぇがいつも言っていた言葉。人にとって本当に大切なものは
失くなったものだ、って。
 凛菜はここにきてその言葉の本当の意味に気づき始めていた。
 翅をもって蝉が地を打ち、命の残り滓を燃やしつくす。そんな季節のこと。

 始まりは初夏のころ。
「ひょっとしたら、お姉ちゃんが失踪したかもしれない」
 ある日突然母さんが言った。2日ほど前から母さんが浮かない顔をしていた理
由と、凛子ねぇからメールが返ってこなかった理由が一遍に解けた瞬間であった。
 凛子ねぇは東京の大学へ行くためにアパートに下宿していた。
それから三ヵ月経ったが、凛子ねぇは未だ見つかっていなかった。
父と母は警察にこれ以上任せておけない、と言い興信所に調査を依頼した。
 両親が言うように、凛菜も警察は頼れないと感じていた。彼らが家に来たの
は1〜2回で、本腰を入れて調査しているとはどうしても思えなかった。しか
し、だからと言って組織力で劣る興信所が姉を発見できるとも思えなかった。
 だから凛菜は自分の力で何かしてみようと思った。
 凛菜は、自分と凛子ねぇの共通の友達にメールを出した。「大学で姉さんと
仲の良かった人のメールアドレスを教えてください」、と。

94 :No.18 500円玉の表側 (お題:500円玉) 2/5 ◇D3eT0HoDzA:08/03/02 22:35:57 ID:sDUpDDm2
 その情報をもとに、凛菜は凛子ねぇの周辺調査を進めていった。
 彼らにメールを送ると、最初は当たり障りのない心配を装う言葉が返ってき
た。凛子ねぇについても「よい友達だった」程度しか書かれていなかった。し
かしメールを続けていくうちに彼らは少しずつ本音を打ち明けていき、凛菜は
姉の意外な一面を知ることとなった。 
・ 凛子ねぇが笑ったところを見た者はいなかった。
・ 凛子ねぇはサークルでも講義でもつまらなそうにしていた。
・ 凛子ねぇはいつも人に囲まれていたが親友と呼べる人は一人もいなかった。
・ 凛子ねぇは誰とでもすぐ仲良くなれた、しかし彼女の内面に深く入り込も
  うとする者に対しては容赦なく拒んだ。
 どれも凛菜には意外で、あまり信じたくないものだった。高校時代、凛子ね
ぇ勉強もスポーツも楽しそうにやって、周りに笑顔を振りまいていたし、高校
時代に凛子ねぇが学校を風邪で休んだ時などには、親友が三人もお見舞いにき
ていた。
 凛菜は気づくと、調査も忘れて必死に凛子ねぇを擁護していた。凛子ねぇが
変わってしまったのか? それとも自分は凛子ねぇについて何も理解できてい
なかったのか? それとも彼らが凛子ねぇのことを全然分かっていなかったの
か? そのどれであったとしても、凛菜には言いようのない悲しさを抑えられ
なかった。
 気分は最悪であったが、凛菜は調査を続けた。凛菜を支えていたのは空虚な
使命感であった。

95 :No.18 500円玉の表側 (お題:500円玉) 3/5 ◇D3eT0HoDzA:08/03/02 22:36:13 ID:sDUpDDm2
 ほとんどの調査対象から有益な情報を得られなかったが、一人だけ変わった
ことを教えてくれた人がいた。
「あの子がいなくなって思い出したのだけれど、彼女、遺書を書いてるって言
ってたと思う。」
「…………なんで遺書なんて?」
「そんなの私に分かるわけないじゃん。でも確かにあの子は言ってたと思う」
「どこにあるかも言ってましたか?」
「秘密。って言ってた。でも、ヒントをネット上に用意しておいた、とも言っ
てた。ひょっとしたら、私の妹が一番最初に気づくかも……とも」
「ありがとうございます」
 凛子ねぇはチャットや掲示板など、結構ネットをやっている人だった。凛菜
は思いつく限りのサイトを漁り、情報を探したが、なんらヒントは見つからな
かった。
 壁にぶち当たり、凛菜は情報を思い出す。凛子ねぇは「妹が一番最初に気づ
く」と言ったそうだ。凛菜は自分と姉しか知らないサイトを考えれば……。
 一つのサイトを思い出す。凛子ねぇが中学生時代に作って、凛菜に自慢した
ページを。

96 :No.18 500円玉の表側 (お題:500円玉) 4/5 ◇D3eT0HoDzA:08/03/02 22:36:29 ID:sDUpDDm2
 凛菜がそのページのURLを入力すると、パスワード入力画面が現れた。
 入力フォームの上にはゴシック体で一文。「裏は誰でも知っている、表は
誰も気にしない。それな〜んだ?」
 
 いつだっただろう、凛子ねぇはコインの裏側を見つめながら言った。
「500円玉は寂しがりなんだよ。」
「なんで? 一番高いコインだからみんなの人気者じゃないの?」と凛菜が問
い返すと、
「うん。人気者だよ。だけど、うん。だからこそ、寂しがりなんだ。みんなは
500円玉そのものを好きなんじゃない。500円というお金が好きなだけ。だから
誰もホントウの意味で500円玉を見てくれていないの。」
「……」
「凛菜は500玉の表に描かれた花の名前を知っているかしら……?」
 その問いに私は答えられなかった。凛子ねぇはコインを裏返してみせた。
「これは桐の花なんだよ。だから何だってわけじゃないけど、桐の花は確かに
ここに描かれているの。」
「桐の花……」
「そう。当たり前すぎてだれも気にとめないけど、こんな花でも無くなれば寂
しいものだと思うの。その寂しさはきっと錯覚なんだろうけど……」
 凛菜は入力フォームに"KIRI"と打ち込む。ページが切り替わった。そこ
には黒い文字でこう記されていた。

97 :No.18 500円玉の表側 (お題:500円玉) 5/5 ◇D3eT0HoDzA:08/03/02 22:36:48 ID:sDUpDDm2
『私は今から死ぬかもしれない。
理由は言えない。
言ったらみんなが巻き込まれるかもしれないから。
両親や凛菜には本当に申し訳ないと思う。
でも、私はこの選択を選ぶしかなかったの。だから許してください。

凛菜へ
私がいなくなったら貴方は言い様のない寂しさを感じると思うの。
でも、よく考えてみて。
私がいなくなっても、凛菜の世界は何一つ変わらない。
ただ、遠く離れた土地にいた姉からのメールが来なくなるだけ。
ただ、それだけのこと。
あなたの寂しさは、失われたものに対して人が感じる錯覚にすぎないの。
それを、覚えていて欲しい。
               P.S. 机の引き出し、上から三番目、右奥』

 凛菜は机の引き出しの上から三番目を引っこ抜いて、中を漁った。
 そこには一つの500円玉があった。しかし、それには表にも裏にも桐の花がな
かった。
 二つの500円玉がくっついていて、両面とも裏面になっている。そういうコイ
ンであった。
 凛子ねぇは、凛菜が抱いているこの空虚感を錯覚であると言った。この500円玉
もそういう意味なのだろう。でも、だけれど、だったら何だと言うのだろう?
自分は今こんなにもさびしい。それが錯覚であるかどうかなど、誰にとって意味が
あるのだろうか? さびしい……。ただその感情だけが心の中に溢れていく。
 凛菜は、今ここに誓う、この500円玉を大切に持ち続けると。この想いを決して
忘れないために。

_了



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