【 敗北 】
◆l9WBCwMGdI




81 :No.16 敗北 (お題:手紙) 1/5 ◇l9WBCwMGdI:08/03/02 21:35:43 ID:sDUpDDm2
 掛け軸や活け花の飾られた床の間、襖に欄間、障子に畳といったいかにも和風の部屋。
二人の男が難しい顔をして向き合っている。その部屋にあわせたのか二人とも扇子を持って
いるが、服装はYシャツやジーンズと完全なミスマッチだ。
 と、1人の男が口を開いた。
「山村、仕事と関係なく、こうやって二人で指すのは久しぶりだな」
「……」
 山村は真剣に盤面を見つめたまま微動だにしない。二人はプロの棋士。話しかけている方
が藤原、盤面を見つめ真剣に考えているのが山村である。
「中学のとき以来だよな。本当に山村は強くなったよ。最初に将棋を教えたのは俺だったの
に今じゃ山村は二冠で俺は無冠。完全に立場が逆転したな」
 盤面を真剣に見つめる山村をよそに、外を眺めながら懐かしそうに語る。

82 :No.16 敗北 (お題:手紙) 2/5 ◇l9WBCwMGdI:08/03/02 21:36:04 ID:sDUpDDm2
 二人は小学校の頃からの友人。山村は親の事情で生まれ育った秋田を離れ、藤原のいた東
京の小学校に転校してきた。小学校三年の春だった。転校当初、友達が全くできなかった。
東北弁がからかわれるため、誰とも話そうとしなかったからだ。もともと無口だったため、
話さないこと自体は苦痛ではなかったが、ひどくつまらない毎日だった。
 この学校では三年の五月からクラブ活動に参加しなくてはならない。そのため、四月の最
後の週に授業の一貫としてクラブ紹介が行われる。気になったクラブ紹介を好き勝手に見て
回ればよく、普通は仲のいい友達と一緒に回るものだが、山村は一人だった。そこに四年生
だった藤原が声をかけてきたのだ。といってもクラブの勧誘だったのだが。
 当時、藤原は既に将棋が強いと評判だった。山村の耳にもその話は伝わっていた。将棋の
知識は全くなかったが、なんとなく憧れていた。それに声を出さなくてよさそうだと思い将
棋クラブに入ることに決めた。
 将棋クラブに入ったのはたったの二人。強くて有名な藤原がいるにも関わらず不思議だと
感じた。しかし、その理由も初日で理解できた。藤原の性格の問題だろう。藤原は手加減と
いうものを知らなかった。素人相手にも容赦がない。圧勝して相手を蔑むのを楽しんでいる。
そのため、クラブでも藤原と対戦したがるものは少ない。山村は仲のいい友達がいるわけで
もなく将棋クラブでもあぶれ、気付いたら藤原の相手をすることになっていた。
 毎週毎週、藤原の相手をしなくてはならないのが嫌だった。三十手や四十手で負ける日々
が続く。悔しくて色々、勝つ方法を考えてはみるものの全く歯が立たない。そんなある日、
藤原が大会に出場するとかでクラブを休んだ。山村は対戦相手がいなかった。そのため、初
めて他のメンバーと交代で対戦することになり、そこで些細な事件が起きた。将棋のルール
を覚えてから半年もたっていない山村が次々と他のメンバーに勝ってしまったのだ。みんな
驚いた。山村自身も驚いた。所詮は小学生の遊びで大した話ではなかったのだが、山村は嬉
しかった。この日を境に藤原と対戦するのが楽しみになった。
 その後も藤原には完敗が続くが、着実に力はつけていた。ふと気付くと将棋のことばかり
考えている自分がいた。そのうちクラブだけでは飽き足らず、互いの家でも将棋を指すよう
になっていた。藤原が中学になってからはクラブでの対戦はなくなったが、家での対戦は続
いていた。ここに至っても未だ山村の勝ちはなし。昔のような完敗はないが、それでもまだ
差があることを実感させられる。結局、勝つことがないまま時は過ぎ、藤原は中学三年でプ
ロ棋士となった。これで二人の縁は一旦切れた。しかし、高校一年で山村もプロ棋士の仲間
入りを果たしたのだ。

83 :No.16 敗北 (お題:手紙) 3/5 ◇l9WBCwMGdI:08/03/02 21:36:22 ID:sDUpDDm2
「そうだな」
 パチッと音を立てて駒が進められる。先手6八飛。
「でも藤原にだけは一度も勝ってない。今日こそは絶対に勝つ」
 そう言って山村は藤原の顔を見上げる。
 山村と藤原は一度縁が切れた仲だが、プロ棋士になってから再び対戦することは何度もあっ
た。しかし、それでも藤原の連勝記録が伸びる一方だった。
 藤原は強いと評判ではあるが、タイトル戦では負けが込み無冠のまま。それに対し、山村は
王位、棋聖の二冠を持った棋界でも三本の指には入る強者。にも関わらず、山村はなぜか藤原
には一度も勝っていない。そのため、山村と対戦する前に藤原の打ち筋を研究する棋士が多い。
今では『藤原』といえば棋士の名ではなく対山村のための戦法を指すことすらある。
 藤原は笑みを浮かべる。
「ありがとう。ライバルだと思ってくれていたようだな」
 藤原はほとんど考える間もなくすぐに次の手を指す。後手3四飛。
 今日の二人の対戦は公式の場以外では中学生以来だった。先月末、山村の元に突然、藤原か
ら連絡があり実現した。藤原が控えているタイトル戦の相手の打ち筋が山村と似ているから練
習相手になってくれという話だった。山村は久々の対戦が嬉しくて、即引き受けることにした
のだ。

84 :No.16 敗北 (お題:手紙) 4/5 ◇l9WBCwMGdI:08/03/02 21:36:45 ID:sDUpDDm2
 静まり返った部屋の中、ゆっくりと手が進んでいく。なかなか優劣つけ難い展開が続いてい
たが、日が傾くとともに局面も傾いてくる。73手目、6三桂成。
 ここで山村は初めて勝ち誇ったような顔をした。藤原は扇子を頬に当て盤面を見つめている。
そのまま三十分はたっただろうか。突然、藤原が口を開く。
「山村に負けたら引退しようと思ってる」
「えっ」
 山村は驚いて目を丸くする。
「なぜ」
 藤原を視線を盤面から山村の顔へ移す。
「最近、将棋を楽しんでいない自分に気付いた。どうも俺が楽しいと感じてるのは山村との一
戦だけらしい。それも勝ってるからだと思う」
 山村は内心、慌てつつも冷静なフリをして言った。
「負けそうになったから陽動作戦か。それにしては幼稚すぎるぞ」
 藤原は真剣な顔をしている。
「それもあるな。でも、まあたぶん本気なんだと思う。自分でもよく分からないけどな。とり
あえず来週から棋王戦が控えてるから、それが終わるまでは引退する気はないよ。だから今日
は次を封じ手にしようと思う」

 山村が封筒、紙、ペンを用意すると藤原は二枚の便箋に現在の局面をたんたんと書き込む。
最後に赤ペンで封じ手を書くと、それを二つの封筒に入れる。その封筒に二人の署名を入れて
封じ手が完成する。一方は山村が、もう一方は藤原が受け取った。封じ手を受け取るとき藤原
は笑みを浮かべていた。その表情を見た瞬間、山村はなぜか胸にざわめきを覚えた。

85 :No.16 敗北 (お題:手紙) 5/5 ◇l9WBCwMGdI:08/03/02 21:37:06 ID:sDUpDDm2
 翌週から始まった棋王戦は第一戦、第二戦と藤原が勝利をおさめ、初のタイトルへ王手をか
ける。山村も含め、周囲の人間は藤原のタイトル取得を確実視していた。やっと名札が付くと
仲間内でも盛り上がっていた。しかし、翌日に第三戦を向かえる日、藤原は突然、この世から
去った。自殺だった。
 その訃報を聞き山村は驚愕し藤原の家に駆けつける。死因が死因なだけに身内だけとのこと
だったが、昔からの友人だと掛け合ってみた。だが、許しは得られず藤原に会うことはできな
かった。
 諦めて家に帰ると一通の手紙が届いていた。山村と藤原の署名が入った先日の封じ手だった。
山村は驚き、その場で封筒を開ける。書かれていたのは封じ手ではなかった。
たった一言、「投了」と。
呆然とその文字を見つめていた。ふと自分の持っている封じ手が思い浮かんだ。急いで部屋に
戻り、自分の持っていた封筒を開く。
「6五歩」
山村は目頭が熱くなるのを感じ、うずくまった。
「ふぅ、……俺も投了かな」



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