【 WAKE 】
◆YaXMiQltls




2 :No.1 WAKE1/3 ◇YaXMiQltls :07/12/01 09:19:56 ID:Sqx3iK0l
 山田が珍しく本など読んでいるので「何読んでいるの?」と君は聞いた。
「ドストエフスキー」
 山田が本を上げて君に見せた表紙には「カラマーゾフの兄弟」と書いてある。山田はかつて君が薦めた
ラノベさえ文字が多いと言った男だ。
「なんで急にそんなもん読み出したの?」
「特に理由なんてないんだけど……なんとなく?」
 別になんとなくでもなんでもかまわないけど大学の授業中に読むもんじゃないだろう、と君は思うがそ
うは言わない。山田は授業中だからこそ読んでいるのだ。だからあえて突っ込まない。病人はいたわって
あげないとならない。心の中で君は山田を馬鹿にするけれども、そのことに君は気づかない。

 案の定次の日には、山田は本を持ってこなかった。そして案の定君にこう聞いてきた。
「おまえドストエフスキー読んだことあるか?」
「何それ、おいしいの?」
「うめえうめえ。すげえうめえよ」
 それからドストエフスキーについて山田が長々と話した。生い立ちやら作品の内容やら、よくもまあ一
夜漬けの知識をここまでひけらかせるものだと、君は関心した。ただ五分もそれが続くとさすがにうざく
感じたので、君はこう言ってやる。
「で、おまえ昨日読んでた本、最後まで読んだの?」
「……それは……まだだけど」
「じゃあさ、せめて全部読んでから言えよ。それから作品じゃなくて作家について語るなら他の本も読ま
ないとな」
 山田が黙る。君はちょっと言い過ぎたかな、と思う。まあ荒療治ということでよしとしよう。

 それから山田は学校で本を読むことも本の話をすることも無くなった。ただちょっとした変化があって、
山田は君の薦めたラノベを読んでくれた。
「ドストエフスキーより面白かったよ」
 と山田は言った。山田は素直になったのだ。人はこうして大人になっていくのだな、と君は思った。
 君は知らなかった。山田がドストエフスキーを読むことをやめたわけではなかったことを。山田はただ
学校で読まなくなっただけだった。学校で読まなくなったのは君や他の友人たちに馬鹿にされるからだ。


3 :No.1 WAKE2/3 ◇YaXMiQltls:07/12/01 09:20:45 ID:Sqx3iK0l
 山田は一通りドストエフスキーを読み終えると、他の古典も読み出した。シェイクスピアやトルストイ
やバルザックやカフカ。あるいは森鴎外や夏目漱石や芥川龍之介や太宰治。初めは名前を知っている作家
から読み始めたのだったが、すこしのめりこむと他のどんな分野でも同じように一般に知られているもの
などその分野の氷山の一角に過ぎないことを知り、より深遠へと潜りこんでいくことになった。
 冬休みを利用してジョイスの「ユリシーズ」を読み、春休みには現代語訳の「源氏物語」を読み、夏休
みにはプルーストの「失われた時を求めて」を読んだ。そして次の冬休みには――

 ある日、君は山田にラノベを薦めた。巷で話題になっていた本で今年の新人賞の受賞作だった。
「これすげえおもしろかったぜ。読んでみろよ」
 そう言うと、山田が笑った。
「それ、俺が書いたんだ」
 君は冗談かと思ったが、山田は否定してくれなかった。だからそのことを証明させるために、山田の家
に行くことになった。生原稿を見せてもらうのだ。
 初めて入った山田の部屋は本で溢れていた。本棚から溢れた本が何列も床に詰まれ、ベッドの上にはチ
ャンドラーの「さらば愛しき女よ」が読んだところまでを開いたまま逆にして置かれていた。
「ちょっと待って」
 山田はそう言いながら、パソコンの電源をつけた。Windowsが起動するまでに、山田はベッド脇に置か
れた丸椅子に詰まれたフローベールの「感情教育」と神林長平の「戦闘妖精・雪風」と谷川流の「涼宮ハ
ルヒの憂鬱」をどけて、君に丸椅子を差し出した。
 山田はマイドキュメントから「小説4」と単純な名前のつけられたWordファイルを開いて君に見せた。
そこにあるのは君が山田に薦めた小説の冒頭。山田は確かにその小説の作者だったのだ。

 夜、寝床の中で君は今日の山田の話を思い出す。色々な小説を読んだあとで自分でも小説を書いてみた
いと思ったこと、書く中で苦労したこと、新人賞をもらったときの喜びとけれど読まれるのが恥ずかしく
て君たちには話せなかったこと。
 君は闇の中にいる。いつもは窓の外から聞こえてくる車の音が今日は不思議と聞こえない。完全な無音。
その中にいつかの山田の言葉が響いてくる。
「おまえドストエフスキー読んだことあるか?」
 君はまだ読んだことがない。彼の名前は知っている。どんな作家なのかもそれなりに知っている。どん


4 :No.1 WAKE3/3 ◇YaXMiQltls:07/12/01 09:21:07 ID:Sqx3iK0l
な作品を書いているのかもなんとなく知っている。けれど読んだことはない。
 君の本棚には「罪と罰」の上巻が埃をかぶっているのだけど、君は思い出すことができないまま、眠り
に落ちる。深く、深く――

 君が珍しく本など読んでいるので「何読んでいるの?」と山田が聞いてきた。
「ドストエフスキー」
 君が本をあげて山田に見せた表紙には「罪と罰」と書いてある。君はかつて山田が読んでいた「カラマ
ーゾフの兄弟」を見て馬鹿にした男だ。
「なんで急にそんなもん読み出したの?」
「特に理由なんてないんだけど……なんとなく?」
「……俺がプロになったから?」
 君は答えることができない。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。ただなんとなく分かっ
ていることをそのまま言葉にする。
「たぶん、原因はおまえじゃなくて、俺だよ」
「意味わかんねえ」
「だから、『なんとなく』って言ったのに」
 山田は首をかしげる。本を閉じて君は聞く。
「ドストエフスキーで何が面白かった?」

 もはや君にはわからない。どうしてあのとき山田を蔑んでしまったのかを。若さゆえの過ちとは言いよ
うのないほどに既に君は大人だったし、だとすれば何か悪い病気にでもかかっていたのだろうか、と考え
ついて君は笑う。
「おまえ何インテリぶってんだよ」
 君の読んでる本を見た友人が声をかける。
「別にそんなことないよ、ほら」
 君はバッグの中から今日出たばかりのラノベの新刊を出して彼に見せる。
「これもう発売してたの?」
「今日からだぜ。朝イチで買ってきた」
 君が笑ってみせると、彼は悔しそうな顔をした。



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