64 :No.63 私にかかった呪文 ◇dT4VPNA4o6:07/06/17 23:30:12 ID:s3iEwa6p
呪いの文と書いて呪文である。
まず思い浮かぶのは、ファンタジー作品などで見る魔法の引金であろう。
だが、呪文とはその文章なり文句が既にある一種の力を秘めているのだ。
TVゲーム『ファイナルファンタジー』において『バーサーク』という呪文が存在する。目標の人物なりモンスターなりを、
敵味方の区別なく暴れさせる魔法である。
一見荒唐無稽なこの魔法、実在する。険悪な状況に陥ったとき意味不明の罵声を浴びせられた事はないだろうか。
懸命な読者諸氏においては、程度の低い罵声ごときでいきり立つ事はなかろうが、相手が憤慨に我を失えば
組み易くなるのが普通である。面白いのはゲーム内でも程度の低いものほど効果が現れる。
無論、この『計算された罵声』を呪文と認識している人間など居はしない。だが、今現在でもアフリカの土着民族には
強烈な暗示をかけ戦士を戦いに駆り立てる部族や暗黒結社が存在する。
呪文とは決して空想の産物などではない。
実際問題私は今、呪文の支配下にあるのだから。
呪文がかけられたのは三日前だ。私はある文章を見かけた。それ自体が呪文等とは思いもよらなかった。
私はそれ以来、一定の文章を書ききらなければならない、と言う脅迫概念に囚われた。だが文章の内容は何でもいいというわけではない。
木曜日、金曜日、土曜日、私は必死に文章の内容を探った。だがその何れもが浮かんでは消えていった。私の本能がそれを却下するのだ。
これも呪文の効果だろうか。
書かないと言う手はない。私がリミットまでに書ききれなかった場合、私は地獄の果てに落ちても忘れることのない深い絶望を
味わうであろう事を脳が理解している。
そこに私の意志が介在する余地はない。本能が、理性に、書けと脅迫する。
だが同時にそのあかつきには甘美なる体験が待っているとの確信もまた本能が伝える。それはもしかしたら麻薬のごとき
悪魔の誘惑なのかもしれないが。
私を待つのは、天上の誘いか、死神の大鎌か。
この文章に駆けるとしよう。