【 君に会えない日曜日 】
◆ZEFA.azloU
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312 名前: ひちょり(山梨県) 投稿日:2007/04/09(月) 05:54:38.52 ID:wXwJhILX0
 価値というのは実に曖昧な存在だと思う。時代や人、その時の状況によって、その形は簡単に変わっていく。
 例えば、一週間で最も価値のある日は何曜日かと聞いたとして、その答えはバラバラになるだろう。
 ほとんどの人にとって休日である日曜日と言えど、万人にとって価値のある日だとは決して言えない。
 少なくとも、今の僕には。

 ――朝、七時五十分。
 目覚ましが鳴ると同時にスイッチを押し、ベッドの上で大きく伸びをする。
 トースターにパンを入れて、そのまま洗面所で顔を洗う。
 ゆっくりパジャマを脱いで、着替え終わる頃にちょうどトーストが焼ける音がする。よく計算された、朝の数数分間。
 熱々のパンを片手に、カーテンを引き、続けて窓を開ける。
 部屋に漂っていたトーストの匂いが、心地よい朝の香りへと変わっていくのを感じながら、僕は窓の外を見る。
 大学生になり、下宿先に選んだこの部屋は、小さな山にほど近い場所に位置していた。
 大家さんに聞いた所、あの山には一軒の薬屋さんがあるらしい。この辺では有名な店で、何でも漢方薬を専門に扱っているそうだ。
 その山の麓にある石段を、毎日決まった時間に登っている者がいつのに気が付いたのは、ここへ来てしばらく経ってからだった。
「おはよう、黒猫さん」
 時刻は八時ちょうど。一匹の黒猫が、今日も石段を登っていく。頭から足、鼻の先まで黒い猫。
 その姿に小さく声をかけるのが、僕の朝食の合図だ。
 猫が見えたら朝食を食べ、片づけが終わり、ちょっとニュースを見て、身支度を調える。
 大学に向かう前に窓を覗くと、ちょうど猫が石段から降りてくる。
 八時半。これも、毎日同じ時間。あの猫のおかげで、朝は時計を見る必要が無くなった。
 そんな毎日が続く中、僕はある法則に気が付いた。
 雨の日だろうと風が強い日だろうと日々山に登っていくあの猫は、一週間の中で日曜日だけ、姿を見せない。
 土曜日の朝、山から降りてくるのは確認しているから、土曜日は泊まり込みという訳でもなさそうだった。
 そして、月曜日は何故か早くに山に向かうらしく、試しに朝六時に起きて待っていても、猫は来なかった。
 山から下りてくるのはいつもと同じ八時半だから、山に登っていないという訳でもないはずなのだが。
 日曜日は大学も休みだし、別に問題は無いと言えばそうなのだが、日曜日の朝食は何となく味気なく感じられた。
 一人で食べているのは変わりないはずなのに、どこか寂しい。
 猫一匹と会えないだけで生活リズムが崩れるとは思わなかったが、僕は次第に日曜日に価値を見いだせなくなっていた。

313 名前: ひちょり(山梨県) 投稿日:2007/04/09(月) 05:55:22.44 ID:wXwJhILX0
 特に趣味がある訳でも無く、大学のサークル活動も日曜はやらない。
 課題や勉強は土曜日に終わらせてしまう僕にとって、日曜日は暇を持て余すだけの日となっていた。
 そんな一週間が続いていた、ある土曜日。
「護、お前んとこ、魔女の薬屋に近いよな?」
 夜中、突然友人から電話がかかってきた。
「魔女の薬屋。山の上にあるとこだよ。護、知らないのか?」
「山の上? ああ、確かに場所は知ってるし近いけど、"魔女の"って何さ」
「何だ、この辺じゃ有名な話だぞ? あの店の薬、魔女が作ってるって噂」
 受話器の向こうで得意げに話す友人に、少し呆れる。
「根拠がまるで無いね……で? その薬屋がどうしたの?」
「ああ、それなんだけどさ。俺の妹が風邪引いちゃってさ、金はちゃんと払うから、薬買って持ってきてくんない?」
「いいけど、どうして自分で行かないのさ?」
「悪い、デートなんだ」
 少し間をおいて、友人に聞こえるようにできるだけ大きなため息をつき、僕は了解した。
 良くも悪くも、僕は人の頼みを断れるタイプではない。頼りにされてるとなれば、応えたくなる。
「……そう言えば、日曜日って営業してるのかな」
 電話を切った後、ふとそんな事が頭をよぎる。
 何となく、日曜日は閉まっているイメージがあった。猫が登っていかないからだろうか。
 まぁ、薬を買ってこいと言うくらいだし、多分営業はしているのだろう。ちょっと不安を抱えながら、僕はベッドに潜り込んだ。

 翌朝、朝食を終えると同時に山へと向かった。普段は遠くから眺めるだけの山も、近くで見てみるとちょっとした発見がある。
 車で通れるような大きな道はなく、木漏れ日がちらつく石段をひたすら登る山道が続く。
 草木の匂いは、部屋の窓から感じるそれよりもずっと強く、実に爽やかな気分にさせてくれる。
 しかし、僕の想像よりも石段は長く、何とか登り切った頃には額から汗を垂らしていた。
「あの猫、凄いな……」
 三十分はかかっただろうか。体力には自信があった方だが、あの猫が山を往復するだけの時間がかかってしまった。
 景色を見れば、僕の下宿がずいぶん小さくなっていた。遠くに僕の通う大学が見えると、ここも山なんだなと実感できる。
 石段が終わった所から少し歩くと、すぐに例の薬屋が確認できた。
 周囲を緑の木々で囲まれた、赤煉瓦の家。近くで見ると煉瓦は黒っぽく変色しており、随分時を重ねてきたのが伺える。
 家の裏には、薬草の類を栽培しているのだろう、家庭菜園のような物があった。

314 名前: ひちょり(山梨県) 投稿日:2007/04/09(月) 05:56:01.92 ID:wXwJhILX0
 木製の扉の脇に、これ見よがしにホウキが立てかけてある。確かに、これなら魔女の薬屋と言われても仕方ない。
 一応扉をノックして、ドアノブを回す。
 店内に入ると同時に、独特の匂いが僕の鼻孔を刺激する。
 続いて、ガラス棚に所狭しと飾られた、よく分からない薬草の数々が目に飛び込んでくる。
 唯一分かる薬草と言えば、どこかの雑誌で見たマタタビが、大きな植木鉢に収まっているくらいだった。
「あれ……? やってないのかな」
 肝心の店主がいない事に気が付いて、小さな部屋の中を見渡す。
「いえ、やってますよ。日曜日はお昼までですけど」
 突然、背後から声がした。
 びっくりして振り向けば、僕と同い年くらいの女性が立っていた。
「ごめんなさい、薬草を採ってたんです。ご用件は?」
 いそいそとカウンターに向かい、僕と向き合う形で女性が椅子に座る。桃色のロングTシャツが、よく似合っている。
「あ、えと、風邪薬を頂きたいんですが」
 僕の言葉に頷いて、女性がカウンターの後からいくつかの薬草を取り出した。どれもが乾燥しているようで、茶色に変色している。
「お薬の調合が終わるまで、ちょっと待ってて下さいね」
 すり鉢や大きな釜が見えるその脇で、女性はミキサーにぽいぽいと薬草を放りこんでいく。
「え?」
 思わず声が出てしまった。一体そこにある仰々しい器具は何なんだ。僕の声と視線に気が付いて、女性は恥ずかしそうに笑った。
「ああ、これですか? 確かにこっちも使うんですけど、基本的にはこっちの方が楽なんですよね、調合」
 あっという間に粉になっていく薬草と女性を交互に見ながら、僕は愛想笑いを浮かべた。現代の魔女は面倒くさがりのようだ。
 女性はそのまま、粉になった薬草をオブラートのような物で包み、薬局でよく見る白い紙袋に入れて、僕に手渡した。
「頭痛と熱を抑えるお薬です。一応三日分用意しましたけど、たぶん一日か二日で治りますよ」
「どうも。あ、そう言えば」
 お金を払いながら、僕は疑問に思っていたことをぶつけることにした。
「ここに、黒猫が来ませんか?」
「ああ、それなら私の猫です。クロって言うんですよ、そのままですけど」
 嬉しそうに女性は笑った。となれば、植木鉢で育てているマタタビはそのクロ専用なのだろう。
「でも、日曜日はここに来ないような気がするんですが」
 僕の質問に、女性は少し間をおいて、こう答えた。
「最近、あの娘少し太っちゃって。日曜日は一日中外で遊ばせて、夜に帰ってくるようにさせてるんです」

315 名前: ひちょり(山梨県) 投稿日:2007/04/09(月) 05:56:34.37 ID:wXwJhILX0
 納得できるような、できないような。そんな答えに首をかしげていると、女性は時計に目を向けた。
「すみません。今日はちょっと早めにお店を閉めるんです」
「あ、そうなんですか。それはすみません」
 申し訳なさそうに謝る女性に丁寧に返答して、僕は薬屋から出た。
 お昼まではまだ随分あるが、用事は済んだし、早く友人の家に届けるとしよう。
「……ん? って事は、夜中になればクロが来るのかな?」
 山を下りながら、女性の言葉を思い返す。
 どうせする事もない日曜日。薬を友人の家まで届け、下宿に戻って来るなり僕はベッドに潜り込んだ。

 目覚ましの音と共に、目を覚ます。
 時刻は、午後十一時半。何時頃に猫が来るかは分からないが、今から朝まで、じっくり待つとしよう。
 幸いにも石段の周辺は外灯が設置されてるから、クロの姿は確認できるはずだ。
 椅子に体を預け、楽な姿勢でじっと窓の外を見続ける。
 時計の短針が一週、二週としていくが、なかなかクロは現れない。
 辛抱強く待ってみたが、結局空が少し明るくなり始める頃になっても、クロは姿を見せなかった。
 時刻は午前五時を少し過ぎている。
「来ないなぁ……今日は遊びすぎてるのかな」
 はぁ、と大きくため息をついて、窓から空を見上げた、その時だった。
「えっ!」
 薄暗い空を、何かが高速で飛んでいるのが見えた。
 何か大きな動物と、それにまたがる人間。思わず出てしまった大きな声に、人間の方はちらりとこちらを見たような気がした。
 一瞬見えたのは、桃色。薬屋の女性が身につけていた服と、同じ色に思えた。
 二つの影は、薬屋のある山に見る間に消えていった。
 これはどういう事なんだろうか。あの女性は、本当に魔女だったのか。
「夢……かな」
 心臓の鼓動が手で触れなくても分かるほど、興奮していた。見てはいけない物を見てしまったような感覚。
 異常な興奮は結局収まらず、今日は大学を休んだ。
 ――次の日から、僕は違和感を感じた。
 僕がクロを見つめていたはずの毎日が、逆転しているような感覚。クロに、僕が見つめられている気がする。
 実際、石段に向かって一直線に進んでいたクロは、僕の下宿の近くで立ち止まり、少しこちらに顔を向けるのだ。

316 名前: ひちょり(山梨県) 投稿日:2007/04/09(月) 05:57:00.87 ID:wXwJhILX0
 その翌日もこの監視は続き、結局この一週間、土曜日までずっと僕はクロに狙われているような気がした。
 何だか少し怖くて、今日も早めにベッドに入る。価値がないと思えたはずの日曜日が、何だかひどく待ち遠しかった。

 目覚ましが鳴る前に、小さな物音で目が覚めた。
 まだ光が入ってこない窓に目を向けると、カーテン越しに小さなシルエットが浮かんでいた。
 ぎょっとしてカーテンを引くと、そこには予想通り、クロの姿があった。
「嘘だろ……ここ、二階だぞ」
 恐る恐る窓を開けると、クロはベランダの手すりからジャンプして、部屋の中に入ってきた。
「静かに。大声は出さないでね」
 あろう事か、クロが言葉をしゃべり出した。叫び出しそうになるのを、必死でこらえる。
 しかし、クロが話す声には、聞き覚えがあった。
「あれ……薬屋の?」
「ええ。こんばんは、護君。まだ名乗ってなかったよね。魔女のテルマです。」
「何で、名前を?」
 ありえない状況の中、必死で言葉を紡ぐ。
「クロは私の使い魔だからね。色んな所を散歩させて、この地域の事は大体把握してるの。それより」
 声の調子が、少し強くなった。
「先週はやっちゃったわ、まさかサバトから帰るのを見られるなんて。でも、貴方は誰にも言わなかった。度胸があるわ」
「やっぱり、監視してたんですか?」
「そりゃあね。今の時代、魔女って結構大変なんですもの。この娘にずっと見張らせてたけど、貴方は大丈夫そうね」
 いくぶん砕けた感じになったテルマさんの声に、僕はちょっと安心する。
「これからも、他言無用でお願いね。あ、また薬屋に来てね、この娘共々待ってるから。そうだ、今度の日曜、一緒にどう?」
 そこまで言うと、クロは猫の声で一声鳴いて、窓から飛び出していった。
 急いで窓から顔を覗かせたが、もうどこにも姿が見えなかった。

 朝日が昇るのを見つめながら、僕は色んなことを考えていた。
 魔女って本当にいたんだとか、今度の日曜に何をするのかとか、ホウキで空は飛ばないのかな、とか。
 今のところ、興味半分、怖さ半分だけど。
 何にせよ、僕の日曜日は一週間で最も価値のある日に変わったようだ。
                 (了)



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