【 蒼銀之富士 】
◆twn/e0lews




48 :No.13 蒼銀之富士(1/4) ◇twn/e0lews :07/02/24 23:25:43 ID:ElTG1JCg
 富士を眺めていたら、背後から声を掛けられた。やけに背の高い人間だと思ったら、顔を見ると西欧人の男だった。
私の持っていた刀が珍しかったらしく、五百円で売ってくれと、片言の日本語で言う。ほとんど反射的に首を振り、断った。
彼は随分と食い下がったが、それでも、私に譲る気がないと解ると、ようやくと諦めてくれたらしかった。
 去っていく彼の、大きな後ろ姿を眺めながら、ふと、何故だろうと自問する。
別段、家宝という訳ではない。東海道を下る道中、武家崩れから博打のカタに巻き上げた程度の刀である。
関の孫六二代は兼本などと言ってはいたが、ハッタリだろう。
商人の端くれとして、決して目利きに秀でているとも思わぬが、されど最上大業物となれば一目でわかる、これはまがい物だ。
品は良いが銘は無い、五十円出すが一杯といった値打ち。対して彼の提示した額は五百円、破格である。
それでも、何故だか売る気になれなかった。
 父が知ったら、烈火の如く怒るであろう事は違いない。金貸しの長男が何をしているかと。
しかし私は、父も、稼業も、嫌いなのだ。
 頬に何か、冷たい物が触れた。目の前にちらちらと、白い物が舞っている。雪だ。
伴って、急激に寒くなる。呆けてもいられぬと、白い息を吐きながら宿場へ向かった。

49 :No.13 蒼銀之富士(2/4) ◇twn/e0lews:07/02/24 23:26:08 ID:ElTG1JCg
 山中湖畔の宿場町は西欧人で賑わっていて、恐らく先程の彼も、ここに宿を取っているのだろう。
人混みを抜け、数ある宿のうちから、豪勢でない、所帯染みた所を探し出す。派手な事は、嫌いだ。
 通り外れの、一見すると長屋の様な宿に辿り着いた頃には、すっかり雪も強くなっていて、外套の肩に染みが出来る程だった。
 ごめんください、と戸を開ける。出迎えた女将は、私の格好を見てまず驚き、この様な宿で良いのですかと、商売にならぬ事を口走った。
良いのです、私は、こんな格好をして言えた事じゃないですが、成金趣味が大嫌いなのです。
そう伝えると、女将は暫く呆けた様に口を開け、しかし気を取り戻すと、ボロと馬鹿にしないでおくれよ、と気さくに言った。
私は、こういう人が大好きである。風邪をひくといけません、さあ、早く中へ。
 案内されるがまま、今にも底の抜けそうな渡りを歩く。
右手の硝子戸向こうが中庭になっており、池などはないが、よく手入れのされた庭で、雪の向こうに富士が見えた。
良い眺めだ、思わず呟くと、女将は、唯一の自慢です、と言った。
 ご実家は武家様ですか。商人でして、これは商売道具なのです。
どちらへお出でに。東京に、商売の勉強をしろと親父に使わされました、今は大阪へ帰る所です。
それは長い御旅でしょう、それにしても刀なんて、警察に止められたりしませんでしたか。
ええ、何度か、けれども商人だと言うと信じてくれました。やはり立派な身なりをされてらっしゃるから、信用が違う。
ひ弱だと思われただけでしょう、実際、刀なんて振れません。何を仰るので。
女将が立ち止まり、襖を開けた。こちらがお部屋になります、お食事の支度整いましたら、それまではどうぞごゆっくり。
 外套を脱ぎ、壁に掛ける。女将は火鉢を用意してくれていた。人の胴程ある、八角形の備前焼。
青一色の、凝った模様などは皆無な、無骨と言える物。だが、私にはかえってそれが良い。
有難い、寒かったんだ。飛びついた私に、火傷をしないようにと笑いながら、女将は下がった。
 ごろりと畳に寝転がり、スラリと刀を抜く、ほうと眺める。
幼き頃よりある程度の稽古はつけたが、反して、武芸一切以てからきしな具合だった。
刀など、武家崩れ相手の商いをした事はあっても、勘定以外で眺めるのは初めてだ。
 身幅は広く重ねは薄く、刀身おおよそにして二尺五寸。刃紋は尖り三本杉、鎬作りの輪反りは四分と言った所か。
刃紋の荒さはやや目につくも、見方を変えれば北斎の富士が如く映る。鎬地の深みと刃先の鋭さ、ひとえに見事。
自ずから蒼銀を発すると思わせる程の、滑らかな光沢。吸い付く様に、或いはその輝きに吸い寄せられる様に、手が馴染む。
 なんとも綺麗な物だ。
そう思ったからこそ、あれこれと難癖を付けずに博徒を逃した訳であるが、それでもやはり、孫六かと言うとそれは無い。

50 :No.13 蒼銀之富士(3/4) ◇twn/e0lews:07/02/24 23:26:29 ID:ElTG1JCg
 だが、だがである。最上大業物という題など無くとも、間違いなく、良いのだ。
けれども、題が無くては値は付かぬ、人の愚かも極まった。貨幣の価値など、そんな物だ。
父には言えぬ、決して言えぬ、それこそ勘当だ、絶縁だ。
父は金貸しそのものと言った人間で、骨の髄まで金に憑かれているから、私の様な人間を阿呆だと罵る。
金のせいで、この美しさに気が付けない、それこそ真の阿呆だ。


 私が産まれた丁度その頃、明治という新たな時代が始まった。
言い換えれば、私は徳川とやらの時代を殆ど知らない訳であるが、お侍の情けなさは良く知っている。
周りの人間に聞けば、お侍とやらは徳川の世では大層な御身分だったそうで、今からは考えられぬ事。
私の知るお侍は、父に頭を下げ、まだ十にならぬ私にすらもおべんちゃらを使い、どうにかして日の酒金を工面しようと這いずり回る、そんな存在である。
 ああ、坊ちゃん、今お帰りで。いや今日は家内の反物をね。
何、大したことじゃない、あいつなんてボロで十分なんでさ。
坊ちゃんからも旦那様に一つ頼みますよ、なかなかの品なんです。
これ程の紬、なかなかありませんよ。
ねえ坊ちゃん、だから高く受けておくんなさい。金を、金を、金を、金を、金を下さい。
 情けのない御武家様。
 見ろ、惨めなものだ、墜ちたものだ。金がなければ人はああなる。
媚びへつらって生きねばならぬ。良いか、世は金だ。
金があればああなる事はない、金がなければああなるのだ。全ては値段で決まるんだ。
人間だって、皆そうだ。金がなければ泣くしかない、泣きたくなければ金を、金を、金を、金を、金を獲れ。
 騙されている御父上。
 金、金、金、金、金、金、金、金、金、金。
 金が無くては生きられぬ、そんな事は知っている。
食うに困って娘を売って、そうして暮らす貧民を私は知っている。
生きるに困って罪を犯して、そうしてしまった人間を私は知っている。
そうして世は回っている。
 金、金、金、金、金、金、金、金、金、金。
 私は知っている。知っているけれど、何とも言えぬ怒りが止まぬのだ。
 目を覚ませ、金に踊るな、蒼銀を見ろ。

51 :No.13 蒼銀之富士(4/4) ◇twn/e0lews:07/02/24 23:26:50 ID:ElTG1JCg
 襖の向こうから、女将の声がした。食事の支度が出来たらしい、起き上がり、鞘に収める。
襖が開くと、硝子戸の向こうに雪化粧の庭がある。何となく、引き寄せられる様に刀を持って立ち上がり、戸を開けた。
お客さん、お閉めなさい、風邪をひかれます。女将が言う。
 良いのだと返し、庭に降りた。何となく、何となくだ。彼方に映る富士の影、抜き身の刀を雪に刺す。
お客様、何をなさって。火鉢を縁側に出してください。どうされたというのです。
それと、熱燗を頼もうか、なあに、黙って、ただ見ていれば解るものです。
 訝しみながらも、女将は下がって、今に熱燗が届くだろう。
火鉢を隣に縁側で、眺めるは地に立つ一刀、背景に富士。刃は左にやや傾いて、辺りを染める雪を受く。



 太刀の輝き地の白に映え、降り止まぬ雪、刃と同じく自ずと光る。
互いの明かりに共鳴したか、空気までもが色を染め、背景の富士、北斎広重三十六景劣る事無し。
届いた熱燗一つあおれば、この享楽は金では買えぬ。間違いないぞ、これこそ一つ、極みの境地。
 雪花一刀蒼銀之富士。




                          了



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