【 馬鹿 】
◆twn/e0lews




79 名前:馬鹿 ◆twn/e0lews :2006/08/05(土) 09:47:44.12 ID:sNU9/Zv50
 気がつくと水で濡れていた。視界は朧だ。遠くから声が聞こえる。胃からどうしようもなく昇ってくるモノを吐き続ける。声がする、大丈夫か? 一緒に飲んでいた人の声だ。
 風に揺れる木の音に似ていた。野次馬のざわめきだ。胃はもう空、既に吐くモノは無いのに嘔吐きは止まない。食道が引っ張られてそのまま一緒に胃まで飛び出てきそうだ。苦しくて、このまま死ぬのだろうかとふと思う。ここはトイレだ、どうしようもなくおかしい。
 救急車を呼んだらしい、そう告げた店の人に大丈夫かと声をかけられる。何となくおちゃらけてみたくて、死んではない、などと言ってみる。笑って見せようとするがやはり嘔吐く。水持ってたけどどうする? 頭にかけてくれと言う。冷たい事だけはわかった。
 救急隊が来た。兄ちゃん大丈夫か? 死んじゃいないよ。どうやらトイレで死ぬ事は無いようだ。笑う。
 肩を支えられてトイレを出ると一緒に飲んでいた女が居た。僕に惚れている訳でもない、ただの友人。ごめんねー、なんて気怠げに謝る。もう殺せよ。
「いいよ、大丈夫?」
「別に、生きてるし」
 酔った勢いか、僕は女にキスした。ゲロまみれの男にキスされる女の心境ってどんなのだろうな、殺して良いよ?
「私は友香ちゃんじゃないよ、友香ちゃんは居ないんだよ?」
「……そりゃそうですね」
 怒りもしないでそう言う彼女はやはり他人だ。友香が大阪に行った事を一番知っている事は他でもない僕だし、僕はそんな事言って欲しかった訳じゃない。彼女は殴ってさえくれない。
 引きずられる様に居酒屋を出て行く途中、大学生風の男と目があった。男は笑って僕を眺めていた。別に切れるつもりもない。救急隊員が男にどけと言った。男は道を空けた。
男は擦れ違う時に僕の顔を覗き込んだ。邪魔だと言って、僕は笑った。偏差値低いだろ? お前。男が僕を突き飛ばした。壁に頭を打ち付けた、救急隊員が怒鳴った。僕は笑った。
 担架に乗せられて運ばれている。夜の街は光っている、道を歩く人が僕を見ている。笑って良いよ、むしろ笑え、殴りに来い。
 救急車には初めて乗った。隊員の一人が僕に大丈夫かと尋ねた。僕は別に平気だと言った。家帰れるから下ろしてくれ。
「そのままじゃ死ぬから駄目、病院行くから」
「いいよ、ゴミ捨て場にでも捨てて良いよ」
 我ながら上手い事を言った。トイレが無理ならゴミ捨て場、傑作だ。
「なあ、おっちゃん。俺みたいなガキ嫌いだろ? 世の中ナメ腐ったガキ嫌いだろ?」
 答えない救急隊員に僕はなおも問う。なあ、答えろよおっちゃん。走り出す救急車、サイレンの音が車内に響く、おっちゃんが小声で嫌いだよと呟く、僕は声を張り上げて笑う。



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