【 Mr.OK 】
◆qygXFPFdvk




454 名前:Mr.OK(1/3) ◆qygXFPFdvk :2006/07/15(土) 14:08:57.00 ID:CXszkFKf0
私が車のボンネットに頭を突っ込む仕事を始めて、今年で三十四年になる。
自慢じゃないが――こういうときは大抵自慢なんだが――私には、車の様子が音で分かる。
また、自分の所に入ってきた車は、必ず走れる状態に戻してドライバーに返すことを信条として仕事をしてきた。
その腕を買われ、勤めている会社が所有するラリーチームのメカニックを任されたのが十年程前になる。
周りのクルーは世界中から集められた腕利きのメカニックばかりだが、今じゃ、私に指図できる者はいない。
クルーは私のことを「Mr.OK」と呼ぶ。私の口癖を皮肉ってそういうのだろう。

今日はWRC、世界ラリー選手権の開幕戦。
F1でも有名な、モナコのモンテカルロに設営されたサービスパークで仕事をしている。
チームカラーである深いブルーのつなぎに身を包んだ私は、今もボンネットに半分頭を突っ込んでいる。
レースが始まる前、最後のメンテナンスだ。クルーの間にも緊張が走っているのが良く分かる。
それもそのはず、昨シーズンは終盤にかけてマシンの調子が上がり、若きドライバーも実力を付けてきた。
そのお陰で今年こそ、この由緒ある開幕戦での優勝も夢ではない状況になっているのだ。

私は腕だけ外に出すと、くるくると手を回す。アクセルをフカせ、というサインだ。
運転席のドライバーがアクセルを踏み込む。エンジンに燃料ガスが供給され、徐々に回転数が上がる。
これで八千回転。軽くフケあがる高いエンジン音は、名馬のいななきのようにも聞こえた。
異常な音は感じられない。最高の仕上がりだ。
「OK! よし、行って来い!」
ボンネットを勢い良く閉じて、ドライバーに目で合図する。
青い目をしたドライバーは軽く頷くと、威勢良くタイヤを滑らせながらサービスパークを飛び出していった。

455 名前:Mr.OK(2/3) ◆qygXFPFdvk :2006/07/15(土) 14:09:18.27 ID:CXszkFKf0
ラリーはサーキットを走るレースではない。
石や砂利が転がってる普通の道の上を、信じられないような猛スピードで突っ走っていく。
それを一日に何回も繰り返すのだ。当然、車は無事で帰ってこないほうが多い。
タイヤが四つ付いていれば大したもの。サービスまで走ってきてくれれば、そこからは私達の仕事だ。
だが、今日のドライバーは調子が良く、ほとんど汚れもないような状態で午前のレースを終えて戻ってきた。

私は、念のためボンネットを開けて頭を突っ込む。
外見では分からなかったが、ボンネットの中で音を聞くと、少々異変を感じた。
エンジン音は快調なのに、何かゴウゴウという曇った音が聞こえる。
「これはインタークーラーだな」
見ると、インタークーラーの中に細かい砂利が挟まっている。
私はそれを一個一個除いて汚れを綺麗にふき取ると、ボンネットを閉め、いつも通りドライバーに合図する。
「OK!」

その後も、ドライバーは絶好調でぐんぐん順位を上げていく。
しかし、上がる順位とは裏腹に、サービスに戻ってくるブルーメタリックのマシンはどんどんくたびれていった。
ドライバーはその度に、泣きそうになりながら私にすがり付いてくる。
マシンの異常は、いろいろと症状が異なった。
ある時はガリガリという金属音が。ある時はピタピタという水の音が。
それに対して、私は一つ一つ器具を使っては、異常な音を正常な音に戻す仕事をしてやる。
そしてドライバーに声を掛けてやるのだ。「OK!」と。
見る見るうちに元気になっていくマシンを見ると、ドライバーの表情も明るくなって次のレースに向かっていった。

ラリーは順調に進み、残るは二レースとなった。ドライバーの活躍により、我がチームは現在二位との情報を受けた。
私は、最後の調整に向け、サービスパークで青いマシンとドライバーを待ち受ける。
首位のマシンが戻ってくる。相手方も満身創痍のようだ。あちこち潰れ、マフラー周辺には焦げ跡も見受けられる。
この様子ならば、逆転も夢ではない。私は期待を持って、ドライバーの帰りを待った。
しかし、後続のマシンが続いて帰ってくるも、私が面倒を見る青いマシンは戻ってこない。
クルーたちも心配し始めたころ、六台目のマシンがパークへ入ってきた。

456 名前:Mr.OK(3/3完) ◆qygXFPFdvk :2006/07/15(土) 14:09:49.58 ID:CXszkFKf0
そのマシンは、見るからにおかしかった。速度は出てないのにがたがたと揺れ、今にも停まりそうだ。
フロントガラスには見事なクモの巣が広がり、天井も潰れたカエルのようにひしゃげている。
そのマシンカラーは見紛う事なき、我らが愛するメタリックブルー。
この様子だと、コーナーを抜けるときに勢いあまって横転したのだろう。
クルー全員がドライバーの安否を心配した。
ドライバーは、肩を落としながらマシンから降りると、私達に深々と頭を下げ謝るのだった。
私は、ドライバーが無事であることを確認すると、すぐにマシンの修理に取り掛かった。

一度エンジンを止め、再始動。だが、エンジンは掛からない。
ボンネットに潜り込み、様子を伺う。しかし、エンジンの掛かっていないマシンは私に何も教えてはくれない。
隅から隅まで覗いたが、異常は分からなかった。
頭を抱え、ボンネットから抜け出すと、ドライバーが心配そうに私を見ていた。
その青い目は、マシンと同じぐらいにひしゃげ、物悲しさを増している。
今にも泣き出しそうな彼に近づくと、こう言ってやった。
「OK、OK! すぐに走れるようにしてやるからな!」
そして、サービスから追い出すと、私は最後の手段を使うことにした。

――サービスパークに小気味良い金属音が、一発。

シャンパンの栓を抜く心地好い音が、表彰台に鳴り渡る。
もちろん頂上には、我らが泣き虫ドライバーだ。
彼はシャンパンを振ると、私に向けて浴びせかけてきた。
背中をバンバン叩きながら何か言っているが、私にはさっぱり分からない。
だが、最後の「サンキュー、Mr.OK!」だけは聞き取れた。
私にはそれだけで十分だ。

表彰台の傍に停めてあるブルーメタリックのマシンのボンネットには、誰かの足跡がくっきりと付いていた――
           「Mr.OK」 完



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