【 夢に歌う獏 】
◆WGnaka/o0o




100 : ◆WGnaka/o0o :2006/06/13(火) 02:16:39.51 ID:x6VXx7W50
 第10回品評会お題「食べる」/ 夢に歌う獏

 夢はお嫌いですか? 何度も繰り返し観続けさせられるあの日の夢が。
「ああ、嫌いさ。俺から自由を奪い去った日のことを無理矢理思い出させる、この理不尽な世界が大っ嫌いだ」
 そう。ならば貴方を苦しめる悪夢を、私が劫火の下に薙ぎ払ってあげましょう。
「そんなこと、出来るのか?」
 私は人の夢を糧にし、夢想の中で生き永らえることが出来る存在。云わば貴方の夢は私の血肉となる。
「……ならば、俺は喜んで差し出そう。君の役に立てるのなら、無情の夢など要らない」
 もし、貴方がこの先ずっと夢を観なくなってしまっても、それでも良いというのならば。
「元より死んだような人間だ。いまさら寝る間に観るだけの夢など、一切無くなっても困らないさ」
 判りました。では、早速ですが執り行いましょう。
『止め処ない夢想の終わりを貴方に。そして――』
「待ってくれ。最後に一つ聞きたいことがある」
 手短にお願いします。レクイエムはすでに始まっていますので。
「判った。すまないが君は一体誰なんだ? なぜ俺を助けてくれる」
 私自身については正直自分でも確かなことは判りません。ただ、貴方と同じように今も夢を観続けています。
この世界に閉ざされる瞬間に聞こえてきた数字の207と、ユメカという単語しか記憶がありません。
「じゃあ、俺を助けるのは……」
 何も出来ずに黙って消え往く苦しみは、とても辛く悲しいものです。それに、貴方にはまだ希望があります。
「君には、もう無いのか?」
 恐らく残念ながら……。でも、同じ苦しみを知る人を助けるられるだけで、それだけで私は幸せなのですから。
もうあまり時間がありません。最後の詠唱で覚めぬ悪夢から解き放たれることでしょう。では……いきます。
『そして、私には限りない永遠の始まりを。今一度未来に渇望する者の命を、代価と共に繋ぎとめたまえ』
 ――さようなら、私の分までお幸せなってください。
「まだ、まだ待ってくれ! 君は俺がっ――」





101 : ◆WGnaka/o0o :2006/06/13(火) 02:16:54.84 ID:x6VXx7W50
 目が覚めたら違う世界だった。薄汚れた白塗りの天井と白昼蛍光灯の鮮やかな光。
 長い間ずっと閉ざされていた瞳には、懐かしい電光でさえ焼け付くほどに眩しかった。
 薄手の掛け布団から腕を伸ばしてその射光を遮り、未だ感覚の乏しい拳をきつく握り締める。
 爪が手の平に食い込む痛覚で現実感を噛み締め、空気の味を確かめるようにゆっくりと深呼吸をした。
 静かな室内に響き渡る心臓の鼓動音で、生きているという実感を更に強く抱く。
 満ち足りた安堵感で胸が一杯になり、乾いた唇を噛んで僅かな涙を流した。
 俺は感謝しなくてはいけない。終わりが無いと思った悪夢の中で出逢ったあの少女に。
 もう叶わぬと思った願いは果たされた。足枷を付けられ牢獄に閉じ込められたような世界に決別できた。
 しかし、まだやり残したことがある。夢想から覚めた今、自らの手で掴まなければならない。
 なんとも不思議なあの夢から持ち帰った、数字の207と単語のユメカが手掛かりとなるだろう。
 筋力の低下した体に鞭を打って簡素なパイプベッドから抜け出し、震える足を引き摺りながら歩を進めた。
 分厚い引き戸を力一杯込めて開けると、狭い廊下から消毒薬のような嫌な臭いが鼻に衝く。
「き、君は……勇助君か?」
 廊下に出た途端に背後から呼び止められ、俺は反射的に体を半回転させて振り返る。
 その先には驚いた顔で立ち竦む白衣を着た中年のおじさんが居た。見たとおり医者なのだろう。
「本当に勇助君なのか? 信じられん。君は昏睡状態でずっと眠っていたはずなのに……一体どうやって」
「それが自分でも信じられませんよ。不思議なことに夢の中で見知らぬ少女に助けられました」
「何っ? 君もあの少女に出逢ったのかい?」
 少女という言葉に過剰反応した医者は、さらに険しい表情になって口元を押さえた。
「ええ、それがなにか問題でも?」
「いやいやそんなのは無いが、こうも立て続けに同じようなことがあると、さすがに驚きを隠せなくってな」
「同じようなことってなんですか?」
「ん、まあーなんだ、この病院は主に重病患者を養護しているんだが、ここ数年の内に何件か昏睡患者が
君と同じようにある日突然回復し、そして目覚めた患者の口々からは夢の中で少女に助けられた、と言うんだ」
 不可思議そのものだという感じで、医者は眉間に皺を寄せて深く考え込む仕種する。
 医者の言葉に驚いた。俺と同じように助けられ、そして再び現世の光を取り戻した人が他にも居る。
 彼女はきっと長い間そうして夢の中で生き、出逢った人々へ救いの手を差し伸べていたということなのだろう。
 ならば尚更に感謝しなくてはいけない。それに、最も助かるべきは彼女本人だ。そうに違いない。


102 : ◆WGnaka/o0o :2006/06/13(火) 02:17:31.00 ID:x6VXx7W50
「おっさん――じゃなくて先生、夢の中の彼女について何か知りませんか? 他の患者が言ってたこととか」
「それが生憎、助けられた患者も相手の名前も詳しい容姿さえも覚えていないらしいんだ」
「覚えて……いない?」
「そうなんだ。ただ少女に助けられた。皆それだけだった」
 おかしい。何かがおかしい。他人は覚えていないはずのことを、俺は今でもぼんやりとだが覚えている。
 胸まで伸びた綺麗な黒髪に見合う端整な顔立ちに、薄青色の寝間着のようなものを着ていた。
 母親のように優しく語りかけるあの声も、交わした会話や歌のようなものも覚えている。
 それになによりも、最後に見せた彼女の悲しみを帯びた笑顔を忘れることは出来ない。
「先生、俺が彼女のことを覚えているとしたら、どうしますか?」
「何だって! 勇助君、それは本当なのかい? 出来るなら詳しく聞かせてくれ」
「判りました。俺はどうしても彼女を助けたいんです。先生、協力してください。お願いします」
「ああ、是非私も彼女にはお礼が言いたい。出来る限り協力しよう」
「ありがとうございます。早速ですが俺の覚えていることを全て話しましょう」
 それから10分ほどかけて俺はあのときの夢のことを洗いざらいに話し、悩み唸る医者のリアクションを待った。

「ふむ、ユメカか……恐らくそれはその子の名――ん? 待てよ、確かウチの病院に――」
「え? 居るんですか!?」
「彼女は数字の207とユメカという言葉だけ覚えていると言ったな?」
「ええ、そうですけど……」
「間違いない。207は病室の番号だ。そしてこの病院の207号室にはシンジョウユメカという女の子が居る。
一度だけ私も彼女の病室に診察で立ち入ったことがあるが、確かに勇助君の言うとおり、容姿も一致する」
「じゃ、じゃあっ……彼女に、逢えるんですか?」
 希望に満ちた目で俺が見やると、医者は視線を俺から外すようにして俯いた。本能的に嫌な予感がする。
「それがその、残念だが……彼女は今朝早くに、息を……引き取ってしまった。昏睡者に付き纏う衰弱で……」
 医者はそう静かに告げたあと、唇を噛み締めて肩を小さく震わせていた。
 その言葉を俺は頭の中で反芻する。鐘の余韻が響くように何度も何度も。
「そんな、なんで……ユメカっ、ユメカ! ユメカぁああああああ!!」
 狭い廊下に響く腹からの叫び。喉が千切れそうなほどに彼女の名を呼んでいた。
 泣き崩れながら俺は力一杯に拳を真っ白な床へと何度も打ち付ける。襲う痛みを心に刻みながら。



103 : ◆WGnaka/o0o :2006/06/13(火) 02:18:05.12 ID:x6VXx7W50
 その後、俺は衰えた筋力を取り戻すためリハビリに没頭した。
 一年以上もかかったが、今では日常生活なら難なくこなせるほどにまで回復している。
 そしてそれから三ヶ月経った日に、あの医者の仲介もあって夢歌の両親と逢うことが出来た。
 全ての事情を説明すると、まだ逢って間もないというのに、両親から形見として一つの絵本を手渡される。
 内容は人の夢を喰うとされる空想上の生き物、獏が主人公の物語だった。
 その姿は長い鼻と犀の目、牛の尾に虎の足を持ち、体色は灰色で胸前と尾の上は白く、体の大きさは水牛ほど。
 容姿はアリクイにとても似ていると言ったほうが判りやすいだろうか。
 獏は悪夢を喰らい、吉夢を観させてくれる霊獣とされ言い伝えられてきたそうだ。
 絵本の物語は至ってシンプルなものだ。幼い少年が観る悪夢を獏が喰らい、やがて少年は悪夢から解放される。
 特徴的なのは、その獏は夢を喰べる際に歌を唄うということだ。『ユメにウタうバク』タイトル通りでもある。
 しかし、その後の結末は判らない。少年は悪夢から吉夢を観るようになるが、肝心の獏はその後どうなるのか。
 最後のページ数と、その前に記されたページ数が飛んでいることに気付き、俺はそのことを両親に尋ねた。
 両親の話では自分たちが最近になって見つけたこの絵本には、もうすでにそこのページだけ無かったと言う。
 恐らく生前に、いや、昏睡状態になる以前に夢歌自身が破いたのだろうと推測した。
 大切な絵本を丁重に預かったあと、最後に夢歌の墓へとお参りをさせてもらった。
 その日の夕暮れはやけに紅かったのを覚えている。立ち込める線香の匂いは、決して不快なものではなかった。
 手を合わせて瞑想し、「ありがとう」と祈りを込めて感謝の言葉を。伝えられずにいた言葉をやっと今。

 『207号室 新条夢歌』と書かれたネームプレートを横目に見やり、俺は観えぬ夢の中へと堕ちて往く。
 初めて知ったその名前。夢に歌うと書いて夢歌。まさに彼女にふさわしい名前だった。
 それに比べて俺は勇ましく助けるなんて名前にしては、結局何も出来ずに終わってしまった。
 挙句には逆に助けられてしまう始末。カッコ悪いにもほどがある。情けなさで涙が出る思いだ。
 だから、夢歌が唄ったあの鎮魂歌を口ずさみながら、明日のために今日を生きようと思った。
 救われた命は夢歌のためにも生き続けなければならない。それがせめてもの恩返しになると信じて。

 あの絵本に出てきた獏は、悪夢を喰らい過ぎた結果、その身を破滅に追いやってしまったのだろうか。
 破り取られた最後のページだけは、未だに見つからずにいた。
 もう一度夢歌に出逢えるなら、それはきっと紛れも無い吉夢。そのとき今度こそは俺が助けだしたい。
 あの夢の中で観た忘れられない悲しそうな笑顔を、今でも続いているはずの悪夢を俺が喰らってやるんだ。
 絵本の最後はどうだろうと、必ずハッピーエンドにしてみせると夢観続けている。



BACK−あるひとつのさえないやり方◆AhZGjKiCcs  |  indexへ